母の日が近づくと、街は一気に「ありがとう」のムードに包まれる。花屋の店先にはカーネーションがあふれ、デパートのギフトコーナーには「感謝を込めて」の文字が躍る。でも、私はふと立ち止まってしまう。「母の日」って、本当に「感謝」だけでいいの?
感謝を伝える日、もちろんそれは素敵だ。でも、母という存在が「感謝」だけで語り尽くせるものだろうか。
母親との関係は、単純ではない。むしろ、感謝という言葉では片付かないほど、複雑で絡み合っている。ときに重たく、煩わしく、でもその奥に温かさや救いがあったりする。
私自身、母の日が近づくと、何を贈ろうかと考えながらも、その裏で「ちゃんと感謝できているのか」と自己反省をしてしまう。そして気づくのだ、感謝が義務のようになっている自分に。
それって、母の日の本質だろうか?
「ありがとう」を言わなきゃいけない、そう思って贈り物を選ぶうちに、「母の日」が「形式」になってしまうのが怖い。もっと言えば、「感謝」だけが母との関係を表現する唯一の言葉になってしまうのが怖い。
母親との関係はもっと多面的で、不完全で、人間的であるべきじゃないか。感謝だけじゃなく、不満や戸惑い、理解しきれない思い出だって含めて、それが母とのリアルな関係じゃないかと思うのだ。
だから私はこう思う。母の日には「感謝」だけじゃなく、「ごめんね」とか「まだわからないことがある」とか、そんな正直な気持ちも含めて伝えてみたい。ありきたりの「ありがとう」だけでなく、私と母の関係そのものを祝う日にしてみたい。
母の日、贈るのは「感謝」だけでなく、少しの「正直さ」と「未完成の気持ち」でもいいんじゃないだろうか。