朝、目覚ましが鳴る前に目が覚める日がある。
それは大抵、心に小さな迷いが積もっている朝。昨日までに決められなかったこと、
誰かに委ねた決断、置き去りにした夢。それらがこっそり胸に忍び込んで、
私を起こすのだ。
仕事のキャリアを積み上げたい自分と、誰かと静かな暮らしを築きたい自分。
「選ばなければならない」と言われるたびに、私は無言でコーヒーにミルクを注ぐ。それはまるで、自分の“どちらでもない気持ち”をごまかすような儀式。
私はよく言われた。「何でもできそうだね」って。
でも、“何でもできる”って、実は“何を選んでも惜しい”ってことでもある。
結婚して、子どもを産んで、家を買って、ワイン片手にホームパーティ。
一方で、プロジェクトをリードし、海外出張をこなし、
自分の名前で仕事が舞い込む未来。
どちらも素敵で、どちらも大切で、どちらも――私。
だけど、「両立」という言葉は、時にとても残酷だ。
まるで、空を飛びながら海にも潜ろうとしているような。
理想は手帳に並べられるけれど、現実には24時間しかない。
人の目を気にすればするほど、自分の本音が見えなくなる。
SNSでは誰かが出世し、誰かが出産し、誰かが世界一周している。
そのすべてが私の“やりたいことリスト”に入っているから、余計に厄介だ。
ふと思う。
選ばなければ、失わなくて済むのか?
優先順位をつければ、それは本当に“正しい選択”になるのか?
私は昔、母に言ったことがある。
「どうしてそんなに我慢ばかりして生きてるの?」と。
彼女は笑って言った。「我慢じゃなくて、選んでるのよ」って。
そのときの私は、まだ“選ぶことの苦しさ”を知らなかった。
大人になった今、わかる。
「何かを選ぶことは、何かを手放すこと」
けれど、手放すからこそ手に入る“確かなもの”もある。
キャリアか家庭かという二項対立ではなく、
自分の人生をどう描きたいかという物語の視点で考えてみること。
それが本当の“選ぶ”ということなのかもしれない。
私は今日もミルクたっぷりのコーヒーを飲みながら、自分に問いかけてみる。
「すべてを手に入れたい私は、どこまで欲張っていいの?」と。
そしてあなたにも問いたい。
―あなたの優先順位は、本当に“あなたのもの”?