新潟の街を覆い始めたのは、AIが制御する気候システムによる恵みの雨ではなく、市民の間に広がる不信感と怒りの豪雨だった。前話で明るみに出た市議会議員や著名人のSNS乗っ取り、そしてそれに続く情報操作の事実が、瞬く間に「NIIGATAコネクト」を駆け巡り、都市の根幹を揺るがし始めていた。警察への不信感も高まり、サイバー犯罪課には非難の声が殺到していた。
サイバー犯罪課のオフィス。広報・危機管理担当の三上陽介は、スマートフォンの画面に映し出された市民からのコメントやニュース記事に、眉間に深いしわを刻んでいた。彼のデスクには、対応を求めるメールやメッセージが山積していた。
「状況は最悪です、リーダー」三上は、顔を上げて如月怜子に報告した。「警察の初動の遅れ、情報公開の不透明さへの批判が強まっています。『情報操作を許すな』『警察は何をしているのか』といった声が、AIによる感情分析でも最も高いレベルで検出されています」
如月怜子は、腕を組みながらモニターを見つめていた。「『カメレオン』の目的は、情報操作によって社会を混乱させることだ。彼らの狙い通りになっている」
佐倉健太は、悔しそうに拳を握りしめた。「ちくしょう、俺たちが頑張ってるのに、全然伝わってねぇ!」
葉山拓海は、データが示す客観的な事実を述べた。「SNS上のフェイクニュース拡散数は、通常時の200%を超過しています。特に、警察の信頼性を貶める情報が急速に広まっています」
「このままでは、市民と警察の間に決定的な亀裂が走る」藤崎梓も、顔を曇らせていた。
怜子は、三上に向き直った。「三上、君の出番だ。この状況を収束させるには、的確な情報発信と、市民との信頼関係の再構築が不可欠だ。市民の誤解を解き、警察が彼らのために戦っていることを伝えるんだ」
「了解です」三上は、静かに、しかし強い決意を込めて答えた。彼のコミュニケーション能力は、このサイバー犯罪課において、事件解決と同じくらい重要な武器となる。
三上はまず、緊急記者会見の準備に取り掛かった。彼は、ただ事実を伝えるだけでなく、市民の不安に寄り添い、警察の誠実な姿勢を示すための言葉を選び始めた。記者会見の原稿を書きながらも、彼は過去の災害時の広報活動や、企業の危機管理対応を思い返していた。
「三上さん、これ、厳しい意見っすけど…」佐倉が、ネット掲示板のコメントを指差した。「『警察はAIに頼りすぎて、人間の心がない』だってさ。AI都市が、逆に市民の不安を煽ってるって意見も多いっす」
三上は、深く頷いた。「そうだ。私たちは、AI技術を最大限に活用しつつも、市民の感情や人間的な絆を軽視してはならない。彼らが求めているのは、データに基づいた冷たい情報だけじゃない。安心感と、信頼できる言葉だ」
彼は、記者会見の冒頭で、AIによって拡散されたフェイクニュースの危険性を具体的な事例を挙げて説明することにした。そして、サイバー犯罪課が国際的なハッカー集団「カメレオン」と戦っていることを明確に伝え、市民にも情報の真偽を見極めるよう呼びかける。
そして、最も重要なのは、警察が市民を守るために、どれだけ努力しているかを伝えることだ。三上は、サイバー犯罪課のメンバー一人ひとりの専門性と、彼らが徹夜で事件解決に当たっている事実を、具体的かつ分かりやすく説明する文言を盛り込んだ。
数時間後、警察本部の一室で、緊急記者会見が始まった。三上陽介は、カメラの前に立ち、深呼吸をした。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。サイバー犯罪課の三上陽介です。現在、新潟市を標的とした大規模な情報操作テロが発生しており、市民の皆様には多大なるご心配とご迷惑をおかけしておりますことを、深くお詫び申し上げます」
彼の声は、落ち着いていながらも、聴衆の心に響く力があった。彼は、事件の概要を説明した後、フェイクニュースの危険性を熱心に訴えた。
「『NIIGATAコネクト』で拡散されている一部の情報は、AI技術を悪用して生成された、悪質な偽情報です。これらの情報は、皆様の不安を煽り、社会の分断を招くことを目的としています。情報源が不明瞭な投稿や、極端な感情を煽るような内容には、特にご注意ください」
そして、彼はサイバー犯罪課の活動について語り始めた。
「サイバー犯罪課のメンバーは、この数日間、不眠不休で情報操作の背後にいる国際的なハッカー集団『カメレオン』の特定と逮捕に向けて、全力を尽くしています。チームリーダーの如月怜子は、冷静沈着な指揮で事態の収束を図り、佐倉健太捜査官は、被害者の皆様の声に耳を傾け、犯人の心理を読み解いています。AI解析スペシャリストの葉山拓海は、複雑なコードの迷宮から真実を解き明かし、鑑識官の藤崎梓は、デジタルデータに残されたわずかな痕跡を追い続けています」
三上は、自身の言葉が市民の心に届くよう、真摯な眼差しでカメラを見つめた。
「私たちは、AI都市の安全を守るため、そして市民の皆様が安心して暮らせるよう、昼夜を問わず戦っています。この困難な状況を乗り越えるためには、警察だけでなく、市民の皆様お一人おひとりのご協力が不可欠です。情報の真偽を見極め、デマに惑わされないよう、どうか冷静な判断をお願いいたします」
記者会見は、予想以上の反響を呼んだ。彼の言葉は、SNSで瞬く間に拡散され、これまで警察を批判していた市民からも、「警察も頑張っているんだな」「信頼できる情報発信だ」といった肯定的な意見が急増した。感情分析AIの数値も、警察への信頼度が大幅に向上していることを示していた。
オフィスに戻った三上は、安堵の表情を見せた。
「市民の反応、変わってきています。記者会見の効果が出ていますね」藤崎がモニターを見ながら言った。
「当然だ」如月怜子は、三上の肩を軽く叩いた。「三上、君の言葉は、情報という名の兵器がもたらした混乱の中で、最も強力な武器となった。本当に助かった」
佐倉も笑顔で言った。「三上さん、すげぇっす! 俺たちのやってること、ちゃんと市民に伝わったっすよ!」
三上陽介は、疲れた顔に笑みを浮かべた。彼のコミュニケーション能力と、危機管理のプロとしての手腕が、市民の信頼を取り戻し、暴走する世論を沈静化させたのだ。
「まだ始まったばかりですよ」三上は言った。「『カメレオン』を完全に捕まえるまでは。私たちは、常に市民の隣に立ち、繋ぎ続けていかなければなりません」
彼にとって、言葉は単なる伝達手段ではない。それは、人々を繋ぎ、心を動かし、困難な状況を乗り越えるための、最も大切な「橋」なのだ。
