不況で、中小の自動車メーカーが到産していたアメリカでは、
中古の工作機械は比較的安く入手することができた。

鮎川の構想とは異なる方向になったが、
ダットサンは月間500台のペースで生産できる体制になった。

これは日本では画期的なことだった。
1935年から37年頃は戦争の足音がかなり高くなっていたが、
まだ国内は平和で統制経済になっておらず、
ダットサンは医者や弁護士など高収入な人たちに購入された。

セダンのほかにロ一ドスター、フェートン、トラックとバリエーションを増やし、
小型車の規格が改訂され排気量750㏄まで拡大、4人乗りが認められた。

現代でも中古車は色々な面で使われている。
過去との違いはリースができるようになったこと。
事例も多くなった。