しかし、軍部からの横やりでこの合併は最終的には実を結ばなかった。
そこで、横浜に建設していた工場は当初は自動車の部晶を大々的に製造し、
やがてはシボレーを生産する会社とする計画だったが、
とりあえずはダットサンの量産工場として出発することになった。

1934年には大阪の旧ダット自動車製造の工場から従業員や
後藤敬義を初めとする技術陣が横浜に移ってきた。

生産設備を主としてアメリカで取りそろえたのは実用自動車の初代技師長を務めて
戸畑鋳物に移ったウィリアム・ゴーハムだった。