おそらく「生きることへの反論」であれば、これまでの状態を維持したいということを懇願されているわけだと思います。しかし、人間が生きられないような状態になってゆく中で、更に、それを加速したいという考え方が、何回考えても私には理解が出来ません。人間には永遠の命が与えられているわけではないと思います。しかも、今の状況は、世界的な変化の中で起きていることなので、なぜ、そのことへの反論が一民間人に向けられるのかということも理解が出来ません。
それに、生きているからこそ、何かが出来るのであって、まず、人間が生きていなけれは何も出来ないと思います。

「生きることへの反論」があるとしたら、それは、死んだ人にしか出来ないことだと思います。
死んだ後に、「生きていた方が良かった」や「やはり死んだ方が良かった」などと誰がそのようなことを言えるのでしょうか?

なぜ、このようなことに対しての反論が継続されるのか最初から全く理解が出来ないまま現状に至っています。

これらのことを現実にもお伝えしてきましたが、これらの現実が否認されているとしたら、一個人では為す術がありません。

認識の違いや思想の違いのために、話し合いが行われることもなく、命に関わるような一方的な攻撃の継続ほど理不尽なことはありません。

「人間の命の尊さ」について、深く考えるべき日において、このような現実が存在しているということに落胆の色を隠せません。

人間は、間違いや過ちをおかすこともあるかと思いますが、そこから深く考えることも出来る生きものだと思います。

それは、永遠の命を繋ぐために、深く考えなければいけないことだと思います。


「お互いを思いやる」「お互いを想う」という心の作業の中で、問題は解決されてゆくものではないでしょうか。【2024/08/09/9:12】