一つの目的の中で、容易に真逆の目的が行えるという環境が作られているという「両極端」が続く限り、主になる目的は達成できないということになると思います。達成できたとしても、そこには何らかの犠牲が強いられていると言うことだと思います。その主になる目的が人間が「生きられるようにするため」だとすれば、その対岸にあることは言うまでもありません。人間が「生きられるようにするため」に、「一部の犠牲を強いる」ということ自体が、目的から大きく外れていると思います。

そもそも、「一部の犠牲を強いる」という大きな要因となる思想により、今現在の状況があるのだと思います。しかも、それらの思想があたかも標準であるかのような現状が問題なのだと思います。

この状況に対して、現状維持のための行為や何もしないということが意味することを誰もが知るべきだと思います。

そうしなければ、タコが自分の足を食べてしまい、それ加え、他者の足まで食べてしまうという状況で、誰もが動けない状態になることを待っているようなものだと思います。
以前、そのようなイメージの記事を投稿しています。その意味は、今現在であれば少しは伝わるのではないかと思います。
そして、他の地域や他の国でも同様の現象が起きているとすれば、そんなことをしている場合ではないと思います。それは、誰一人として救出になど来れなくなると思うからです。

そうならないために、個人レベルでの正しい自己防衛が必要なことだと思います。正しい自己防衛とは、お互いを思いやるということで、思いやりの結果が全体に笑顔をもたらすということです。
それは、真からの笑顔であって薄気味の悪い笑顔のことではありません。