結果的な現状否認と願望について想うことです。
それと相手側の発言との関連性の中で感じたことです。(これは過去の自分の経験からそう感じたことです)

例え話でお伝えします。

車が急に自分の目の前に飛び出してきて、避ける間もなくぶつかったとします。そして、飛び出してきた側にほぼ100%の非が認められたとします。

▷その時の状況を他者に説明する場合に、実際には、急に飛び出してきた車を避けられない状況で、自分が「ぶつかった」=「ぶつけた」と表現すると思うのですが、それが「ぶつけられた」という表現に変わると、100%非がないとしても、話を聴いている側からすると「あれ?何か変だぞ」と思ってしまうような相手側の表現の仕方を経験したことがあります。この場合は、完全に自分に非が無いから良いとしても、このようなパターンが常態化しているとしたら…と思うと、ご本人も周りも混乱するのではないかと思ったことがあります。
ちなみに、この内容は例えであり、このような類の経験をした際の、相手側は同じ人ではありません。複数人です。

見知らぬ誰かの苦しみが軽減されますようにという想いです。ご参考までに…。