問題が発覚するということは、隠していたことの表れで、それは、火山が噴火したことと同じだと思います。
それを周りから観て、火山が噴火していますよと伝えても、噴火している現状を見なかったり、見ても、それが火山の噴火だということを認識していなければ、噴火は無かったことになるのでしょうか?
それを見なかったり、認識していないことで、現実に、噴火の影響が多くの人と土地に影響を与えていても、周りがそれを観て認識していても、それは、無かったことになるのでしょうか?
問題が発覚するということは、その人の困りごとの表れで、それは、火山の噴火と似ていますが、人間は火山ではないので、噴火する前に何らかの手立てがあるのではないでしょうか?
それは、火山の噴火の予想は出来ても火山の噴火を止めることは出来ないことに対して、人間は火山ではないので、噴火の予想の段階で、大きな噴火が起きる前にそのことを止めることは出来ると思います。
人間は、火山でもないし、人間から書き換えてもらわなければ動けないコンピューターのプログラムでもないと思います。
自分で情報さえ掴めれば、自分で心の中を書き換えて整理することも出来るのが人間だけが出来ることではないでしょうか…。
その人間が、本来ならば不必要な無駄なことによって頭の中が一杯になっているのではないでしょうか?そのことによる、物理的な忙しが増して考えることさえも出来ない状態に陥っているのではないでしょうか?
かつての私が別の問題でそのような状態であったこと、そしてその問題は未だに解決していないこと、そしてその問題は、現在(いま)に繋がる大きな問題であることを認識するためにも、正しい真実の情報は必要不可欠なものだと思います。