浮き輪もボートも持たずに漂流していた命の存在が、ある日、手を伸ばして流れ星をつかまえた。
その流れ星は、命の輝きを空から見つけていた。
広い海の中で漂流していたひとつの命と、広い空の中で命の輝きを見つけていたひとつの流れ星がそこで偶然に出会った。


偶然は必然となる可能性があるというようなことを過去に何かで見た記憶が印象として残っている。よくよく考えるとその可能性は高いのではないかと個人的にはそう思う。

そこにいるのは、そこにいる理由があり、それは目的かもしれない。

何か欲しいものがあり買い物に行き一つの店に入ることも、それがそこにいる目的であるように。



広い空から広い海を見ていた一つの流れ星と、広い海から広い空を見ていた命の輝きがあるように、そこを見ていた中での偶然の出来事なのだと思うと必然の中に偶然は存在しているのではないかとさえ思う。


人間は生きている限り、現状を見続けているということだと思う。そして、その現状に対しての認識とは、それまでの現状を見ていたことによるものだと、当たり前のことに妙に納得している自分がいる。

当たり前が散らばっている世界で、当たり前を当たり前だと認識することが出来にくくなっている現在、当たり前のきらめきが妙に眩しく感じる。

そして、そのきらめきは、自分の行動と自分の心の中の作業によって、きらめきの存在に気づかされるのではないかと思う。