「生きることへの反論」と言うことであれば、今現在、生きることに対して何の不自由もない方々がそう思われる可能性は無きにしもあらずではないかと思います。だから実感として、そのことが受け入れられないのではないでしょうか。
実際に「知ったことではない」という状況下においては、そのような状況が起きかねないのかもしれません。
それでも社会で起きている現象を観れば、それは明らかなことで、生きることが困難になっている方々がいるという状況があるから、「生きるため」という課題に取り組まなければならない状態になっているのだと思います。
本来ならば、「生きること」「生き方」は、人間が育ちの中で自然に身に着けてゆくものであって、あらためて「生きること」を意識的に考えなくても良いのが普通の生き方ではないでしょうか。その「普通」というものに対しての「ものさし」に大きなズレがあるから今の状況が引き起こされているのではないかと思います。
その現状に対して行われている取り組みに反論があるということも個人的には考えられないことなので、このことに対しては長期間に渡る困惑があります。
そのような理由なので「生きることへの反論」と思える現状には、何らかの勘違いが未だに存在しているのではないでしょうか?
現実には、そのように思えるので、毎日毎晩、現状をお伝えしているのですが、お伝えしても納得が得られないと言うことであれば、私のような一民間人に対しての現状に対する問題は解決されることはないのではないかと思います。
そのようなことから、これは納得できない方々が、直接、自ら世界的に行われていることに対しての認識の是正をするために然るべき行動を取られるべきではないかと思います。
毎日毎晩の同じことの訴えに対しても、直後からの問題が発生するような状況であれば、それは、何の意味もないことで、両者にとっての人間としての不利益が生じるだけだと思います。
その負の連鎖を断ち切るために記録に残します。