認識の違いにより、理由も分からないまま
人を攻撃し続けるということは、いつか自分が食べてしまうかもしれない「毒の実がなる植物の種を撒くこと」に協力していることと同じだと思います。

誰もが、生きるために、「食べられる実が成る種」を撒くためには、認識の違いを正すことが必要です。