23:48 
●浴室ではいつもと変わらなかった。上や周辺には人が居た。23:49現在、浴室からは爆竹のような音が聞こえている。


▶最初から出発点さえ違うことに対して、その事を確認することさえもせずに、浴室までも付きまとい嫌がらせを行うということ、それに対して被害者側が、制止しようと思い訴えることに対しての相手側の「怒り」。
この一連の流れに対して、何の関係もない人間にとっては、危険性を孕んだ不可解と理不尽と不気味という感情だけしかありません。怒りさえ通り越すという、相手側の矛盾だらけの行為に為す術もありません。
相手側にとって、これらの行為が「正当化されている」という恐ろしい現実を私のような一民間人には知る術もありません。

人間が人間に対して、なぜ、ここまでの残酷な行為が出来る精神状態になるのか?そのことに対しての解明をするべきだと思います。
そして、危険な行為に依存しなければならない精神状態についても、それらを予防することは可能だと思います。何よりも、「やってはいけないこと」についての最初の行為に至らないような社会環境を作るべきではないでしょうか?最初の行為に至るにあたっては、誰も好きこのんで「やってはいけないこと」をやりたくはないはずだと思います。

それでも、そこには被害者がいます。

突然被害に遭った被害者にとっても、その苦痛と損失は計り知れないものです。加害者が増えれば増えるほど、被害者の存在は影が薄くなってゆくように感じます。被害者にとって、こんなに理不尽なことはありません。

加害者側にも事情があったであろうことは、これまでのことと現状を思えば、何となくでも大きな枠組みの中においての、ある種の何らかの部分はわかるような気もしますが、
その中での大きな違いは、そのことに対して、その最中にも、その後においても被害者と向き合ったのかと言うことだと思います。

たとえ、誰かの指示によって行ったとしても、その最中にも、その後の対応においても大きな違いがあると思います。そして、事後の対応によって被害者側にとっても加害者側にとっても人間の不利益にならないような対応が必要だと思います。それは、既に、どちらも人間としての不利益を既に被っているからです。