知人の結婚式の日、

結婚式も半ばを過ぎた宴の最中に、
家族の方たちが、何やら慌ただしく動いていた。

「どうしたの?」と尋ねると、
困った表情で、
「実はね、ご祝儀の行方がわからないの」と言われた。

聞いたことがある話ではあったが、
まさか、自分が遭遇するとは思わなかった。
その後どうなったのだろうか…。

その話で思い出した。

たしか、4~5歳の頃、親戚の「葬儀」に連れられて
慣れない環境の中、静かに座ってお経を聞いていた。

そこの家は、  
なだらかな坂道の傾斜に、一戸建てが立ち並んでいる場所。

ふと、外を見上げると、坂道から男の人が
家の中を覗いていた。

子供ながらに「怪しい人」だ、お葬式に来たのなら、
あんな風に覗かない。
その「挙動不審」な行動を観て、そう思ったが、
誰にも言わなかった。

葬儀が終わり、火葬場まで行き、
子供ながらに「人が死ぬ」「人間の最期」って、こんなに悲しいんだ
と、泣きながら思った。

その後、また、葬儀があった親戚の家に戻ると、
なんだか、騒々しかった。
留守番していた人が「香典泥棒」と、言っていたのを覚えている。

香典の意味は知らなかったが「泥棒」の意味は知っていたので、
直感的に、「覗いていた人」の存在を思い出し、

騒いでいる親戚の人たちに、
「あのね、家の中を覗いている人がいたよ」と伝えた。

そこからは、
大人たちからの「事情聴取」であった。

「男の人?女の人?」から始まり、「何着てた?」
「おじさん、おばさん?」「お兄さん、お姉さん?」

そして、極めつけは
「なんで、早く言わなかったの!!」と、怒られて傷ついた。

今でも、ちょっとしたトラウマになっている。
 
人の死の悲しみに直面し、涙して、子供ながらに物思いにふけっていたところに、
責められた、という思いだけが残った。

それと同時に、人がこんなに悲しんでいる時に
そんなにひどい事をする大人がいるんだ…と悲しくなった事を覚えている。

しかし、
今の自分なら「香典泥棒」に対しても、
人が悲しみに暮れて、弱っている時に、そこまでの事ができるのは
なぜなのか?なにがあったのだろう?かと
その人の背景も考えるようになった。

なぜなら、人はこの世に生を受けた時には、
誰しも「まっさら」「純真無垢」だったと思うから・・・。











『PTSD予防』
純真無垢だったはず。