1915年の小學三年生

1915年の小學三年生

1915年、尋常小學校三年生だった通訳者の相良静江(田口喜美子)さんは軍人だった父 相良広一さんの仕事の関係で東京から朝鮮の京城に移り住みます。1915年の京城龍山尋常小学校三學年八組綴り方より

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學校の本門はげんくわんから五六けんばかりはなれた所にあります。
門の柱は一尺二寸ばかりで、高さは十丈二寸ばかりであります。

門はどこでも黒くぬってあります。
門の上の方にはとたんをかふせてあります。
それは雨で木がくされたのでしてあります。

柱と柱の間は二けんばかりはなれてゐます。
門札は雨にぬれてきえかヽつております。

本門の近じょに一ばん高い石がきがあつて上には竹がさがしてあります。
私の筆色はちや色である。
形は長しかくで長さは六寸二分くらゐである。
はばは一寸三分で、ふかさは一寸ばかりである。

私の筆入れはふたをひいてよこにまげるやうにしてある。
表の方には宮島のゑがかいてある。

中にはゑんぴつ二ほんとないふとごむがはいつてる。

この間おばさんが宮島へいかれた時におみやげだといつて私にくださつたのである。
私は六時まへに目をさましましてねまきをきかへて川へかほをあらひに行きました。

そして口をすすひでかほをぶるぶるとあらひます。
ようぢにしほをつけてはをみがき、口を又すすぎます。

うちへかへつてどうぐをそろへます。

だけどうちへ行って見るとばあさんが朝のしたくをしてゐます。
わたしはばあさんに「おはよう」といひます。
ばあやんは「おはようございます」といつて「かみをいってあげませうか」といひますので
私は「いつてちようだい」といってかみをいつてもらひます。
それからおかあさんはおきておかほをおはらひになつてごはんをたべるやうおをして
私おかあさんに「いただきます」といつてごはんをたべます。

たべてしまつてから「ごちそうさま」といひました。

ほんとに目でみるやうであります。かんしんしました。
私は汽車にのつたことも、ふねにのつたこともおもしらうございました。

それのほかにまだおもしろかつたことはおかあさんたちとかいすゐよくに行って、貝をひろつたり、なみが来るのをすくつたり、したのが一ばんおもしろうございました。

にちのまつばらや、まいづるこうゑんに、行ったことおもしろございました。
西のはまでおよいだり、すないぢりしたり、したこともおもしろうございました。


面白いことがありのまヽかヽれて気持ちのよい文


京城龍山公立尋常小學校第三學年八組