僕は「羊」の肉は嫌いである。あの独特の匂いがあるからだった。でも、シェフ・デュミは中隊長の交代式の食事会で出されるはずのその羊の解体を毎日やっているらしかった。バーベキュー用に肉を切り分けるという訳だった。シェフ・デュミは特に肉の好き嫌いは無い様ではあったが、毎日羊の解体をやらされていると、さすがにゲンナリしていて可笑しかった。それも冗談まじりで面白おかしく表情を変えずに言うものだから余計に可笑しいのであった。毎日「血」と「内臓」ばかりを相手にしていて、少し可哀想ではあったけれど。全部で羊20頭は殺したよ・・・とシェフ・デュミは生臭い話ばかりであった・・・。交代式には、家族や招待客、僕らの小隊など200名ばかり来るらしかったが、それらの人たちが食べるバーベキューの肉を焼く木材など僕らが準備しなくてはならず、その他に食堂用にテントを張ったり、僕らの小隊はかなり忙しかった・・・。羊肉が好きな連中は目をキラキラさせれいる連中が多かった。僕は全然うれしくはなかったけれど・・・。

 

    交代式の練習は、羊の解体のおかげで、まじめに通してできたのは、1回か2回ぐらいであった。ただ僕たちはチェスの駒の様な物なので、「気をつけ!」や「捧げ銃」「立て銃」「休め」など号令を聞き分けるだけで良く、そんなに大変なことはなかった。ただ、新兵達は緊張している様であった。後任の小隊長は、第2中隊にいてこの間曹長に昇進したばかりのポルトガル人のトレス曹長であった。僕は彼の事は何となく知っているだけで、会話の記憶はほとんどなかった。ただ、彼の下にいる軍曹や上級軍曹達は知っていた。彼らが言うには「トレス曹長はいい奴だよ!」と言う事であった。これは僕らにとって大事な事であった。いい人かどうかは外人部隊生活にとっては大事な事であった。これが「サン・シール士官学校」出立ての中尉などはあまり出来が良くなく、軍務をよく知らないので、大変であった。「トレス曹長」はそれら新米の中尉達と違い、一兵卒からの叩き上げなので外人部隊をよく知っていた。どこの国の軍隊でもよくある話であった。これは自衛隊も然りである。 

 

    そのついでというわけではなかろうが、小隊次席下士官も交代して、シェフ・デュミが無くなって、代わりに来たのが、ラオス人のケオパニャ軍曹であった。ただ彼は僕もシュミット軍曹も誤算であった。ケオパニャ軍曹は勤務の長さも十分長いのに、フランス語の発音が悪くて聞き取ることができなかったのだ・・・。ただ、仕事は几帳面であったので、特には問題は起きなかったのは覚えている。そして軍曹連中も交代が来た。僕を除いて。海外勤務帰りのイギリス人のジョーンズ、第2外人歩兵連隊から来たキャロンに2名だった。

 

                   読んでくれた人ありがとう。