5月12日は、ナイチンゲールの誕生日です。


病院で一番お世話になるのは、看護師さんではないでしょうか。


清潔な制服に身を包み、テキパキとした身のこなしでたくさんの機器を扱いながらも優しく声をかけてくれる、そんな看護師のイメージをつくったナイチンゲールです。



新人間革命14巻 使命の章には「妙法のナイチンゲール」である白樺グループ結成当時の様子が描かれているのでご紹介します。




以下、小説「新・人間革命」 14巻 使命の章より




3  使命(3)

 看護婦メンバーのグループの結成を、山本伸一が提案したのは、ひと月ほど前のことであった。

 この数年、看護婦の過重労働が、大きな社会問題となっていた。

 看護婦の数は、病院のベッド数の増加に追いつけず、看護婦不足は、年々、深刻化の一途をたどっていたのである。

 病院看護は、二十四時間を、日勤、準夜勤、深夜勤の三交代で行うことになっていたが、準・深夜勤を合わせると、月のうち、十回を超えるのは普通で、月二十回という人もいた。

 どこの病院でも、看護婦は疲れ果てていた。労働内容に比べて待遇も悪く、体がもたないなどの理由から、転職を考える人も多かった。


 全日本国立医療労働組合は、人事院に行政措置要求を行い、一九六五年(昭和四十年)には、「夜勤回数は月八回以内に」「夜勤人数は二人以上に」との判定が出されたが、改善は、ほとんどなされなかった。

 そのため、夜勤を月八回以内に制限することなどを要求する看護婦のストが、全国で起こっていたのである。
一九六九年(昭和四十四年)の五月になると、創価学会本部のある信濃町の慶応病院でも、夜勤を月八回以内にした、組合がつくったダイヤで仕事をするという、自主夜勤制限が行われた。


 これは、マスコミにも大きく取り上げられた。「看護婦のいない夜は、患者はどうなるのか。患者を人質にすることではないのか」との、組合への非難も渦巻いた。

 伸一は、学会の女子部にも、多くの看護婦がいることを知っていた。当時、東京だけでも、七百人ほどのメンバーがいたが、勤務の関係で、思うように学会活動に参加できない人も少なくなかった。

しかし、そのなかで懸命に時間をやりくりしては活動に励み、さらに、学会の各種行事の「救護」役員として、忙しい仕事の合間を縫って、駆けつけてくれていたのだ。

 伸一は、看護婦として働く女子部員に、励ましを送り、勇気と希望を与えたかった。生命の守り手たる、尊き使命を自覚し、職場の第一人者として大成してほしかった。そのために、女子部の幹部と相談し、「白樺グループ」の結成に踏み切ったのである。



 4  使命(4)

 看護婦メンバーの使命の重大さを、伸一は痛感していた。

 医学は目覚ましい進歩・発展を遂げてきたが、医療の人間不在を指摘する声もまた、次第に高まっていた。「薬づけ」という状況もあった。治療か人体実験かわからないという批判も起こっていた。「人間」が置き去りにされつつあったのだ。

 また、病院で患者は、どれほど人間の温もりを感じ、心の癒しを覚えるであろうか。さらに、患者の尊厳がどこまで守られ、人間としての誇りが、どこまで保たれているであろうか――そう考えると、伸一もまた、医療の現実に、疑問をいだかざるをえなかった。


 その医療に人間の血を通わせるうえで、看護婦の果たす役割は、極めて大きいといえよう。看護婦は、人間と直接向き合い、生命と素手でかかわる仕事である。

その対応が、いかに多大な影響を患者に与えることか。体温を測るにせよ、注射一本打つにせよ、そこには看護婦の人間性や心が投影される。患者はそれを、最も鋭敏に感じ取っていく。

 そして、看護婦の人間性や患者への接し方は、どのような生命観、人間観、いわば、いかなる信仰をもっているかということと、密接に関係している。


 ナイチンゲールは「ともかくもその人の行動の動機となる力、それが信仰なのです」と述べている。真に献身的な看護には、宗教的な信念ともいうべき、強い目的意識が不可欠であろう。

 仏法は、慈悲、すなわち、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)を説き、その実践の道を示した教えである。

さらに、仏法は、生命は三世永遠であり、万人が等しく「仏」の生命を具えた尊厳無比なる存在であることを説く、生命尊厳の法理である。まさに、仏法のなかにこそ、看護の精神を支える哲学がある。

 その仏法を持ったメンバーが、自身を磨き、職場の第一人者となっていくならば、人間主義に立脚した、患者中心の看護を実現しゆく最強の原動力となることを、伸一は、強く確信していたのである。