1894年2月3日は、アメリカの画家ノーマン・ロックウェルの誕生日です


軽いタッチでアメリカ合衆国の市民生活を描き、アメリカ合衆国で幅広い大衆的人気を持つ。


アメリカ合衆国の市民生活の哀歓を巧みに描き、アメリカ人の心を捉えているため、最もアメリカ的な画家のひとりともいえる。


多作であり、生涯に2000を超える作品を描いたが、1943年に彼のスタジオで起きた火事で多くの作品が焼失し、残った作品もほとんどが美術館の恒久的所蔵品となっている。


また、彼に作品を依頼して表紙などに使った雑誌で、完全な状態で残っているものは極めて少ないため、発見されると数千ドルの値が付く事もあるという。





以下、2002.3.4 全国総県長会議での
メッセージ(池田大作全集第67巻)より



ファシズムのに立ち向った「四つの自由」の絵


 先日、アメリカのニューヨークで活躍する創価学園・創価大学出身の友が、うれしい近況の報告とともに、4枚の絵を届けてくださった。


それは「四つの自由」と題する絵である。作者は「アメリカで最も愛された画家」と言われるノーマン・ロックウェル(1894~1978年)。

(Laura Claridge, NOrman Rockwell : A Life, Random House, Collier Schorr, The Essential : Norman Rockwell, Harry}N. Abrams. Inc.以下、同書を参照)




 約60年前、第2次世界大戦中、ルーズベルト大統領が「四つの自由」を提唱した。それを主題に描いた作品である。

その「四つの自由」とは、「言論の自由」「信教の自由」「欠乏からの自由」「恐怖からの自由」である。



 当時はヒトラーらが台頭し、「自由」を残虐に蹂躙した。ファシズムの嵐が吹き荒れていた。

 日本も、狂いに狂った軍国主義一色だった。それに立ち向かい、牧口先生、戸田先生の師弟が戦っていた時代である。


 アメリカの民衆画家ロックウェルは、真剣に悩み、考えた。自分も芸術家として、何とかして人々に貢献したい――。

そして、この「四つの自由」の理念を、だれもが一目で理解し、共感できるような絵を描こうと思い立ったのである。


 私には、民衆と苦楽をともにされゆく、わが芸術部の皆さま方の姿と重なり合ってくる。


ロックウェルは、この大仕事に取り組んでみて、その難しさを、あらためて、かみしめた。自分自身の病気との闘いもあった。長く苦しい試行錯誤が続いた。

 そのなかで、師匠の言葉が、ふと胸に蘇ってきた。”絵の中に飛び込み、絵の中に生きよ”と。

 “そうだ!”と、彼は思った。
 「四つの自由」に生きる民衆の姿を、ありのままに描いていけばいいんだ――。 



 そして彼は、以前、町の集会で、堂々と意見を述べていた素朴な壮年の姿を思い起こした。

 あの光景の中にこそ、まさに「言論の自由」があるではないか!


 それは、座談会や弘教の最前線で見られる、戦うわが壮年部の雄姿に、よく似ている。



 この3月5日は「壮年部結成記念日」である。心から「おめでとう」と祝福申し上げたい。

 この民衆画家は、身近な、ふつうの人々をモデルにして、高邁な「四つの自由の理念を、一つ一つ、わかりやすく表現していった。 


 「言論の自由」の絵で描いたのは、政治家などではなく、誠実で勇敢な庶民だた。民衆が主人公であった。

 「欠乏からの自由」の絵で取り上げたのも、家庭のほほえましい光景であった家族や友人であろう、にぎやかな仲間が食卓を囲んでいる。

 さらに「恐怖からの自由」の絵には、やすらかに寝ついた子どもたちを見守りがら、そっと、ふとんをかける優しい母と父の姿があった。父親の手には、戦争報じる新聞が握られている。


 そして「信教の自由」の絵は、多様な民族の老若男女が敬虔に祈る姿などが描れている。

 「四つの自由」の絵は、4回にわけて「サタデー・イブニング・ポスト」誌に載された。それは、大きな反響を巻き起こした。


 この「四つの自由」の理念は、「国連憲章」に影響を与え、「世界人権宣言」どに結実していったことも有名な史実である。

 4枚の絵は、国連憲章のポスターにもなり、「言論の自由」「生きる権利」「平和」「信仰」とも題された。

 〈言論の自由の絵柄が少し異なる〉


「自由」といっても、どこか遠くにある、抽象的なものではない。だれかから与えられるものでもない。

また、一部の人たちだけのものであってもならない。現実の社会に生きゆく庶民が、市民が、賢くなり、強くなって、一日また一日と、勝ち取っていくものである。


 私たちの学会活動は、一次元から言えば、人間が人間らしく生きるための「自由」を勝ち取る精神闘争である。

21世紀の人類が目指すべき「自由」――それは第1に「暴力からの自由」であろう。



 戦争やテロ、さらに、家庭や社会に渦巻く暴力を断固として許さない。生命尊厳の思想と行動を貫いていく。

そして、人権を侵害する言論の暴力や、言論のテロも、絶対に放置してはならない。


 現在、アメリカSGIの同志が繰り広げる「暴力に打ち勝つ運動」は、全米各地で大いなる共感を広げている。


 第2に「権威からの自由」である。

 日顕宗に象徴される、人間を隷属させる独善的な宗教の権威などから、人間の魂を広々と解き放っていくことだ。大聖人は明快に「権威を恐るること莫れ」と仰せである。


 第3に「貢献の自由」を挙げたい。

 人々に限りない勇気と力と励ましを贈りゆく「貢献の人生」を、私たちは生き抜いている。

 学会は、平和・文化・教育の次元で、積極果敢に社会にかかわり、貢献している。

 人々の幸福を祈り、正しき信仰の道に導くことも、当然、「貢献の自由」だ。

政治に参加し、政治を厳しく監視することも、「貢献の自由」の一分である。

だれ人たりとも、この自由を奪うことはできない。また断じて奪わせてもならない。



 そして、第4に「生命の自由」である。

 生命と宇宙を貫く根本の大法則にのっとって、いかなる宿業も宿命も転換しながら、絶対的な幸福境涯を築いていくことだ。

さらにまた、「生老病死」という根源の苦悩を打開し、永遠の生命の自由を勝ち取っていくことである。人類全体の宿命転換は、この「人間革命」の大道にある。


 アメリカ・ルネサンスの大詩人ホイットマンはうたった。

 「『生』、生は耕作、そして『死』はふさわしいその収穫」(『草の葉』下、鍋島能弘・酒本雅之訳、岩波文庫) 

 広宣流布は最高無上の“生命の耕作”である。広布に生き抜いた人生は「生も歓喜」「死も歓喜」となる。生々世々、“無量の福運”と“栄光の収穫”に包まれゆくことは、御聖訓に照らしてまちがいない。


 先日、芸術部の皆さま方をはじめ全同志の代表として、シルクロードの名門、ウズベキスタンの国立美術大学から「名誉教授」称号を拝受した。(2月20日


 仏法では、「心は工なる画師の如し」と説く。心は、偉大な画家のように、自由自在に一切を描き出していく。

心は偉大なる芸術家――今回、お迎えした美術大学の先生方も、この言葉に深く共鳴され、大学のモットーとしたいと語っておられた。


 芸術も、人生も、一切は「心」で決まる。私たちは、この一生を名画家のごとく生き抜きたい。

壮大なる「自由」と「正義」の民衆の絵巻を、未来永劫に創り残してまいりたい。