1980年代。よく言うところの「バブル期」の話です。
この頃夜遊びに行くとしたら福岡では「天神町}か「中洲」。
二十歳そこそこで お金もなく、せいぜいスナックでカラオケでしたね。
中洲や春吉の高級クラブやキャバレーは夢のまた夢。
そこで、映画[サタディナイトフィーバー]の影響もあって若者の社交場「ディスコ」はナンパ目的で仲間4,5人でよく行ってました。
当時はまだ学生で、アルバイト代が貯まると、多い時で週3くらい通ってました。結構ハマってましたね。
ディスコのデビューは天神の【ラジオシティー】。
ほどなく主戦場はアダルトな中洲のディスコへ【カルチェラタン】や
当時、先輩がDJやっていたので【VO】に特に通う様になりました。
当時は「ドレスコード」があって強面のドアボーイのチェックが厳しく
会員でもスニーカーやティシャツGパンでは絶対入店出来ませんでした。
革靴襟付きシャツは必須ドレスアップは当たり前のお洒落な社交場ですからね。
シャバぃ恰好じゃ入店すら出来ないし女の子にも相手にされない。
入店で苦労しても店内はその分オシャレな子も多いので、頑張りましたねぇ。
ディスコ【VO】があったのは当時の福岡市博多区中州2丁目3-8
那珂川沿いの「城山観光ホテル」内Night Palace VO Plazaでした。
会員証のキーホルダー 後に円形のプレートになったので初期型の四角プレートは古い常連みたくちょっと自慢でしたね。
現在は「アクア博多」です。
VOが入っていた当時の「城山観光ホテル」も有名でしたが 元々も有名な「国際ホテル」でした。
なぜ有名だったかと言えば
かの「マリリンモンローが新婚旅行」で夫で大リーガー野球選手のジョー・ディマジオと1954年(昭和29年)2月1日〜25日の約一ヶ月間、
マリリン・モンローは新婚旅行で日本を訪れており、
2月8日〜10日の間、福岡にも滞在しています。
この際に宿泊していたのが「国際ホテル」だったのです。
軍軍からの要請で、在福中は到着した空港近くの板付や西戸崎のベースキャンプにも群慰問に行きました。
軍の要請とは言え女優のモンローにとっては絶好のPRだったのですが、「結婚したら女性は家庭へ」主義のディマジオには気に入らなかったみたいで、
この件が後々の離婚騒動の元になった話は有名です。
ただ当時の「博多っ子」には飛び上がる程のビッグニュース!だった訳です。
世界的に超有名なセックスシンボルの福岡滞在は3日間と短いものでしたが、
大変衝撃的な出来事だったようで福岡の昭和史をみていると必ずと言っていいほど書かれています。
あ、大濠公園のボートハウス「モンロールーム」はまた別件で。。。
ただ昭和の我々には超!有名人なマリリンモンローも最近の若い人には知らない方も居られるみたいで。
ただマリリン・モンローは知らなくてもこの【アンディーウォーホール】のシルクスクリーンはご存じでは???

ニューヨークのオークションで落札されたアンディ・ウォーホル
穴が開かなかった【ショット・セージブルー・マリリン】です。
その価格は手数料込み1億9500万ドル 約254億円 近現代アートでは史上最高価格であり、油彩ではなくシルクスクリーンであることも特徴的です。
相当話題になりましたからね!!!
さて今は何処に???















