「無情野」と呼ばれる地区があります。
それにはこんな悲しい伝説が残っています。
簡単に説明します。
後醍醐天皇の皇子 大塔宮護良親王の妻の一人の雛鶴姫が策略にはまって、鎌倉で斬首された大塔宮護良親王の首を妊娠中にもかかわらず持って山梨方面に逃げてきました。
タイミング悪く、暮れの29日頃に産気づきましたが、近くに助けてもらえる民家もありませんでした。
雛鶴姫を護衛する人達によって、雛鶴姫は男の子を出産はしましたが、飢えと寒さによって母子共に亡くなってしまいました。
男の子の父親の大塔宮護良親王が優れた人だっただけに、護衛の人達は「無情かな」といったのが地名であるとも、少し離れた人家に助けを求めてても助けてもらえなかったから「この地に住む人達は無情だ」といったことが地名の由来であるとも聞いています。
どの道、悲しい伝説の地名ですよね。
この地区はこの地名とともに、この伝説がはじまりといわれる「無情野の大念仏」という重要無形文化財が残っています。
地名だけでも、その土地ゆかりの伝説があって面白いですよね