先日、Aさんの水子供養をしました。
読経中に5歳〜6歳くらいの男の子が、護摩壇の右横に来ました
目のパッチリした可愛い子でした
ちょこんと座って、キョロキョロしていました。
私は「難しいかもしれないけど、ちゃんとお経を聞いて道案内してくれる神仏について行くんだよこの子にお経が届け‼︎」なんて思い読経していました。
この子が出てきたとき、Aさんに教えてあげたい気持ちになりました。
しかし、いくら亡くなったお子さんがそこにいても、読経を中断して教えるのは、供養が気の抜けたものになってしまいます。
それでは供養自体がダメになってしまいます。
心を鬼にしてAさんに伝えず、供養を続けました。
供養が終わり、子供が出現した話しをしました
ここから親子って凄いなぁ!怖いなぁ!という体験を私がします
Aさんは自分で「幽霊は見えない」と言うタイプの人です。
だいぶ前に当山で供養した時、子供が出てきたことがあったので「今日もどこかにいるかなぁ?見えるかなぁ?会いたいな。」と思いつつ、何故か護摩壇の右側をずっと見ていたそうです
子供のいた場所、Aさんのずっと見ていた場所は同じでした。
幽霊見えないどころではなく、ちゃんと自分のお子さんのいた場所を見ていました‼︎
ただ、私のようにハッキリ姿は見えないのが残念というか、惜しいというか
Aさんは何故か護摩壇の右側から目が離せなかったそうです。
Aさんにはお子さんの姿がハッキリ見えなくても、ちゃんとお互いが繋がっている姿をまざまざ見せられました
ある意味
親子の繋がりの深さを体験できた貴重な御供養になりました