娘①のお話 | 乳がんなりに生きてみる

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パニック障害で乳がんです。

ステージ2A(2.7cmグレード2 ki-67 80%リンパ転移なし)6月19日部分切除術。放射線治療計画用のCTにて、リンパに今までなかった転移が見つかり、8月23日腋窩リンパ節郭清しました。

昨日は娘②のお話をチラッとしたので、今日は娘①のお話を・・。

娘①は某私立大学の芸術学部に通う一年生。

正義感が強く真面目で小心者。

 

中学1年の時、いじめに遭い不登校になった時に、何が原因かを必死で考えた末に発達テストを受けてみたらかなり黒寄りのグレーだと診断された。

ADHDと自閉症スペクトラム。娘②と同じ。

コミュニケーションが苦手なんだという事は分かったけど、娘を学校に行かせる方法が見つからず困っていた時に、中学校から、心の教室に通ってみては?とお声がかかった。この時点で娘①の成績は地についていた。

人の波が怖いというので、登下校の時間をずらして通うことになった。

心の教室に通うようになってから、同じ境遇の友達ができた。

絵が大好きだった娘は、それをコミュニケーションツールにしつつ、どんどん自分の居場所を築いていった。

最後まで教室に戻ることはできなかったけど、自分の居場所を見つけた娘はどんどん強く、そして朗らかになっていった。

 

そうして・・高校進学を考えた時、美術科のある高校が何校かある事を知り、そこを目指すことにした。

一番興味を持ったのは大阪では古くから知られている女子高。決して偏差値の高い高校ではなかったけど、今の娘①には無理だと先生に言われてしまった。

成績も無理。そもそも大勢の中で話を聞くことも無理・・。確かに難しい・・。

でも、何故か娘は折れず、その頃からコツコツと勉強を頑張るようになり、個別指導の心の教室では甘えてしまうからと、少人数制の支援学級での授業にも通うようになった。

そして3年生になった時、娘の評定は3にまで上がっていた。

5段階中の3。つまり、普通の学力だ。

完全に地についていて、偏差値45の高校も絶対無理だと言われたのに、気が付けば誰も反対しなくなっていた。

 

そして、見事に合格。

娘は一度はあきらめた女子高生になった。

そこからはほぼ無遅刻無欠席。

1年生は中学を引きずっていたので評定も3.8位だったけど、2年3年は4.3以上!

美術科だから・・っていうのもあるけど、これだけの点数が取れるのは、娘①の努力の賜物でしかない。

部活も3年間コーラス部に所属し、2年の時には副部長になった。

なんていうか・・本当に、健全に、女子高生してくれた。

卒業制作では短編アニメーションを必死に制作して発表。

 

YouTubeにアップしてたから拝借。笑

親バカだけど、本当によくできてると思う。

 

そして、併設大学に進学。

理由は、部活を続けられるから。

多くの部員が併設校に進むから。

コミュニケーションが苦手で学校に行けなかった子が、同じ環境にいたくて進路を選ぶなんて、中学のあの時には絶対に考えられなかった。

毎日楽しそうに授業や課題の話を聞かせてくれます。

 

因みに・・・。

高校生の頃から、ADHDのお薬を飲んでます。コンサータというお薬。

薬を処方してもらったり、現状の報告なんかもあって4週間に1回は心療内科に通ってます。

薬を飲んだからって、完全にうっかりはなくなってないけど、人間関係が苦手じゃなくなってきたのは、それも関係してるのかな?

薬を飲むなんて・・。って考えた事もあって、最初はどうするか悩んだけど、やっぱり病院に通って良かったのかな。と、今は思っている。

 

高校の時に始めたステーキ屋さんのアルバイトでは、ADHDを発揮してしまい、いつも叱られて、しょっちゅう泣いてた。

それでも頑張って続けてたし(お店がなくなったのでやめた)本当に強くなった。

ちょっとトラウマになって「飲食はもう行かない」なんて言ってたけど、この間カフェの面接行ってたし。ピアス駄目って言われて落ちてたけど。

 

・・と、娘①の紹介(?)はこんな感じ。

まだまだ語り切れないので、続きは又いつか。

 

今日はまたまたお友達とランチ♪