皆さま

沢山の祝いのコメントありがとうございます。


今年も無事に誕生日を迎えることができました。

私が誕生日に思い出す事と言えば
幼い頃に家族で毎年焼肉に行った事です。

誕生日には決まって
近所にある個人経営の焼肉屋さんに行って
食事をするのが通例だったのですが
ある年の誕生日に父が、

「この(焼肉の)後、不二家に連れて行ってあげるから
好きなだけデザートを頼んでいいよ。」

と言ったのです。

子供の頃に、デザートと言えば
食後に考えて考えてやっと一つお願いするような
代物だったのです。
そんな子供の私には「好きなだけ」の限度がわからないのでした。

そして、デザートを人がどのくらい食べたら
臨界点を突破するのかもわかっておらず
決して「もうダメ」と言われることのないまま
私は、頼み続けました。
というか、一気に頼みました。

3月のレストラン。
若干冷房が効き始めて
デザートを食べる私の唇は真っ青になっておりました。

それでも、すべてのデザートを独り占めして
好きなだけ食べられる空間にできるだけ浸っていたい。


ほぼ死にながらデザートを食べる子供。


それを観て両親が大爆笑している。


そんな光景を今だに思えています。



今だったら、デザートよりも
札に溺れたい。



汚れきった私です。





子供の頃は、誕生日っていうと
年に一度、好きなものを食べられて
好きなものを買ってもらえて
好きなこと言っても許される

友達に祝ってもらえて
プレゼントをもらえて
奢ってもらえて
特別扱いしてもらえて

生まれたことの意味なんて考えずに
ただ単にその日の特別に酔いしれているものです。


先日の動画でもお話をしていましたが
私の父はすでに他界しております。

父が死ぬまでは、
両親がいることが特別なことだなんて思いもせずに
当たり前に両親がいると思っていました。

そして

父が死んで気づいたことは
親がすでにいない人なんて
この世の中では特別でもなんでもなく
バーで話せばそんな環境は当たり前で
LGBTQの人と話せば家庭環境は千差万別
(まぁ一つとして同じ家庭なんでそもそもありはしないのだけれども)

今まで両親が居て
そのことに何も感じていなかった自分に気づいたのでした。


私が、両親を「人間」として確かに
認識したのはやっとその頃だったと思います。

私のように子供であった時があり
私のように10代があり
私のようにバイトをしていて
私のように社会に出た

私が音楽に夢中になっていた年齢には
両親は出会い、結婚をし、私を産んでいた。


冒頭の誕生日のエピソード
その誕生日が何歳のことなのか覚えていませんが
おそらく
私は、今その時の両親の年齢に限りなく近いのだと思います。




今、私がそんな子供を育てることができるのかとか
考えると
親の偉大さや苦労を思い知ります。

そして、感謝します。



我が家では
父の命日には特に何もせず
父の誕生日にお祝いをします。

生まれてきてくれてありがとうと毎年
感謝しています。


誕生日の本当の意味を知った私は



私の誕生日に
誰かが「生まれてきてくれてありがとう。」
と言ってくれるのであれば


両親に
「産んでくれてありがとう。
 私の親になってくれてありがとう。」

そう言いたいです。

そして、私を支えてくれる友人たちに
「私を形成してくれてありがとう」

そう言いたいです。




もっと父にありがとうって言えばよかった。

ずっとそう思っているの。


だから、私は「ありがとう」と言うことを忘れない。

誰にでも「ありがとう」と言うセリフを忘れない。


「ありがとう」どころか
伝えたい言葉を伝える瞬間を逃したくない。



私にとって誕生日とは
そう言う日です。






本日公開されました動画
は私へのサプライズ動画となっております。

 

 

 



散々「私は誕生日動画を作ってもらってない」と
ネタのように言って居たところ
凄まじく大掛かりな仕掛けで驚かされることとなりました。


サプライズもさることながら

動画の編集も
前編はヒデキ、後編はカミュがおこなっております。

この動画も含めて
メンバーからもらったサプライズで
また一年、気合い入れて生きていけると思います。



ヒデキ、カミュありがとう。


 

そして皆様

沢山のメッセージをありがとうございます。

 

そんな皆様のおかげで

私は、毎日頑張ってゆけます。

 

「エンガブが元気の素」と言ってくれるメッセージが

私の「元気の素」。

 

だからみんなと私たちは

太陽の光が栄養になって地球が生きるように

循環しているね。

 

 

本当にありがとう。

 


Takassy