140128、キリスト教に憧れた理由 | エンエンの「何でもあり」なブログ

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普段、話し相手がいないので、ブログを読んでくれる方が話し相手だと思って、語りまくります。時には、つまらないと感じたり、短かったり、長かったりするかもしれませんが、たまには、読んであげて下さい。

絵がキレイだったから。イエス・キリストが、良い人か悪い人かなんて知らなかったのですが…。

小学校3年生の時、校門を出たら、ポスターを持って説明しているキリスト教徒がいました。そのポスターの絵がキレイだったんですよね。そのポスターを何枚も捲りながら、子どもに対して説明していました。しかし、ボクは、話は聞かずに絵だけをみて、立ち去りました。だって、その話している人たち、ボクに話していたわけじゃないので。

それから、高校を卒業した後一人暮らしをしている時、キリスト教徒の人たちが訪ねて来ました。そこで初めて話を聞いて、イエス・キリストがどんな人なのか、知りました。洗脳されたように、入信しました。

それが良かったのか、悪かったのか、入信後、ずーっと悩むことになりました。毎週教会へ行かなければならないし。ボクは、人と話すのが苦手なので、そっとしておいてほしいのですが、教会では、そうはいきません。必ず誰かが話しかけてきます。「どんな仕事してんの?」とかいろいろ。「アンタには、関係ないでしょ!」って言いたいけど。「話しかけないで」とも言えないですしね。

神様の救いって、本当にあるのでしょうか。些細なことでも神様から助けてもらって「ありがとう」と言ったことは、何度もあります。でも「今、助けて欲しい」って時、助けてくれないんですよね。信仰の問題と言う人もいるでしょうけど。自殺者が多いのも、「どうしようもできない。死ぬしかない」って思っている時、神様の救いがないから、実行せざるを得ない。「死ねることが救い」だと、最近考えるようになりました。

人からしてほしいと望むことは、人にもそうしてあげなさい…という黄金律がありますが、ボクの例で言うと、そっとしておいてほしいから、ボクもそっとしておいてあげる、人の手を借りたいと思わないから、人にも手を貸さない。…こうなります。

隣人を愛しなさい…とありますが、自分を愛せない人は、他人をも愛せないと、誰かが言っていました。その通りだと思います。ボクは、一回も恋愛経験がないし、愛したことも、愛されたこともありません。

キリスト教のいいところって、何なんでしょう。

では、また。