冬子の生きにくい日々

冬子の生きにくい日々

普通と合わない独身アラサー女の「嫌なもの」。たまに「好きなもの」。

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「クレヨンしんちゃん」を見ていた頃には全然わからなかった、「お姉さんどくし~ん?」の意味ないし意義。独身と既婚との間に、これだけ大きな隔たりがあるとは思わなかったが、それは後日述べることとし、今回は既婚女性に、結婚願望がありそうな独身女性の前で使ってほしくない単語(構文ではない)について論じる。

 

(1)うち

 

なぜただ配偶者と2人で夫婦となっただけで、その二人組をわざわざ「うち」と呼ぶのか理解しかねる。女の既婚友人数人は、結婚後たちまちこの言葉を使うようになった。子どもが生まれた後であれば、「うち」と自称することも認めよう。できたての二人組のくせに「うち」とわざわざ呼ぶのはなぜか。

 

結婚願望がある独身は、炭鉱のカナリアのようにデリケートなので、既婚者(特に結婚したばかり)の「”うち”は車は買わないんだ~」のような発言が、「ワタシは(あなたとは違い)特定の男に愛されて、結婚も簡単にできちゃって、家庭を作ったんだ~」と翻訳されて聞こえる。たとえ交際相手がいようとも、独身で自分たちのことを「うち」と呼ぶことはほぼ不可能。「うち」は、既婚者が独身との戸籍形態における差別化を図る、見せびらかし語なのだ。

 

そもそも私は実家以外を「うち」と呼ばない。やたら集団への帰属意識の高い人は、「うちの学校」「うちの会社」「うちら」というような表現をよく使うが、私は決して使わない。生得的な場所以外の社会的な集団と、そんな馴れ馴れしい関係になることは考えられないのだ。ここまでの人は少ないかもしれないが、要するに「うち」という言葉をつい使ってしまう新婚女性は、めでたく獲得した配偶者に心理的に依存しているのだ。

年齢柄、そして日本の今の社会柄、結婚をしていないことで満たされなさを感じる。つまり自分もあわよくば結婚したい。そんな心情を正直に打ち明けられる相手もいないし、ネット上のガールズ向けのノウハウサイト(「結婚できないアラサー女子の共通点9つ」の類)はいまいち当事者の心情を疎かにしていていけ好かないので、当事者の私がこの場に切々と心情を綴っていこうと思う。

 

高学歴の女は2パターンに分かれると分析している。20代のうちに結婚・出産することに照準を定め、「適齢期」に妥協できる相手を見つけたらワニのようにガバアッと食いついて歯を食い込ませて放さず、外堀を固めるなりして結婚に相手を追い込み、友人よりも1日でも早く結婚できるように血のにじむ工夫を行い、見事目標を達成するパターン。戦略に長けた頭脳派女子だからこそなせる業と言えよう。

 

高学歴女性は結婚できないという話も聞くけれど、婚活や高齢出産のリスクがこれだけ取り沙汰されている中で、賢い女性たちが、「漫然と年を取っていく友人とワタシは違うの、とっとと結婚して、やるべきことは計画的に済ませるんだから!」と合理的に考えるのは納得がいく話である。

 

もう一つは仕事で有能だと評価されて、同世代よりも高年収をもらって土日も深夜も働き続けているうちに、結婚なんていうのはもっと世俗的な人がすることであって、自分が今そんなことをしている暇がないなどと考え、30歳を過ぎても社会人なりたての頃から変わらない精神状態・戸籍状態を維持しているパターン。ただ、フィギュアスケートの真央選手ですらそうであるように、身体的には5年前より確実に衰えている。

 

私は後者のケース。そして、私の数少ない友人たちはそろって巧妙で、ほとんど前者のケース。私が過労死しかけている数年の間に、子ども1人目は産み切った。生物学的にはそのタイミングでも十分遅いところだけど、私からすれば、交際相手の発見、交際の合意、結婚の提案および合意、諸手続き、共同生活、繁殖という、それぞれ数カ月は要し極めて困難な壁に思える一連のプロセスをすでに各人が終えてしまっていることに衝撃を覚える。これが女たちの持つ本能なのだろうか。私の本能は、胸の奥で形にならずにくすぶっている。

あと1ミリで結婚してくれそうなところまで男を追い込んだ女が放つ、輝き。