ケモは残すところ
24時間を下回った
大量の水が通過し
おかげで
ひっきりなしの
オシッコで
夜は寝られず
万一のために
尿もれパッドを装着
オシッコ前には
マスクを着けて
手を触れる場所は
全部消毒
下手をすると
漏らしてしまう
だから
手っ取り早く
あらかじめ計画した
最短の動線で
同室の患者さんと
被らないように
さてと
いまから
ちょい寝ができれば、と
ケモは残すところ
24時間を下回った
大量の水が通過し
おかげで
ひっきりなしの
オシッコで
夜は寝られず
万一のために
尿もれパッドを装着
オシッコ前には
マスクを着けて
手を触れる場所は
全部消毒
下手をすると
漏らしてしまう
だから
手っ取り早く
あらかじめ計画した
最短の動線で
同室の患者さんと
被らないように
さてと
いまから
ちょい寝ができれば、と
入院者のクセに昨晩はゼロ睡眠
まあ、すごい夜だった
1時間ごとにトイレ(オシッコ)
眠るスキ無し
↑
シスプラチンを押し流すための
生理食塩水が多いため
おかげで朝はぐったり
気がつけば朝食
なんだけど、実は
明るくなってから1時間ほど寝れた
トロッと
最低の体調で始まったものの
食事は朝昼共に食べれて
元気回復しつつ
お昼に便秘やや解消した
今夜もオシッコで眠れんのかな?
いやですね、そんな夜
連続ケモは48時間越えての53時間
半分は越えた
あと43時間の辛抱
DCEP療法、ケモ耐久レース
眠れない
ステロイドによる
副作用の睡眠障害
あるいは
多量の点滴により
尿が絶えず出てくる
シスプラチンを押し出すための
追い水
膀胱が絶えず満水で
漏れそうで気に
余計に寝れない
ここで役に立つ
1. 2コースのときの
尿もれパッドのあまり分
こりゃ真剣に
尿カテーテル入れなきゃならんか
しんどいな
頻回のトイレで
背骨が疲れ気味
ガン闘病の
辛い1ページ
尿カテ入れるの痛いけど
除去したあと
こうした副作用が辛い
膀胱へのダメージだね
我慢の効かない膀胱
腕のピックも痛いしな
あと2.5日もあるのね
このまま朝まで起きてよか
CAR-Tのためのブリッジング
DCEP 3コース
開始後24時間を通過
2日目に入りました
今のところ
副作用はしゃっくり
そして
便秘の予感
そして
副作用かどうかはわからないけど
ケモ直前からの腰痛
(たぶん副作用ではない)
てなところで
体はいい感じです
このままいけば
最高だなぁ
ホントにしんどいです
DCEP療法
これまでやってきた
カイプロリス、ベルケイド、レブラミド、ポマリスト、ダラキューロ、ニンラーロ、、といった新薬治療ではなくて
いわゆる、ザ・抗がん剤
すごい副作用を覚悟しなくてはいけない
でも
そのおかげで生きている
とにかく
明日に向かって
希望の光を求めて
3コース目
CAR-Tへの架け橋
泣けてくるよ
この病気になってから
般若心経を写経したり
読経したり
を始めてました
しかし残念ながら
しばらくご無沙汰しておりました
発病が7年前で
確かその1、2年あとに般若心経に興味をもちました
部分寛解となってから
仕事や、釣りやでなにかと忙しくなり
般若心経はご無沙汰となりました
ニワカ
ですね😅
ここにきて
春先の骨髄腫の増悪以来
心が不安定になりがちでした😑
将来への恐怖
骨折による激痛
さらにはケモによる副作用
と心身ともに最悪となりました
特に宗教に興味をもつでもなく
仏教に傾倒してるわけでもありません
しかしながら
般若心経を唱えると
なんとなく心が落ち着くのです
ひさしぶりに般若心経を覚え直しました
はじめの頃はお経の意味も勉強しましたが
今はもう忘れてしまいました
でも、唱えるとおちつくのです
大部屋ですから
声に出さずに
モゴモゴと
不思議なものです
仏教のなかで一番大事な真理が書かれたお経らしいです
モゴモゴと
心を落ち着けて
ケモに挑みます
退院のつもりだったから
一度抜いてたんですよね
ピック
やっとカサブタとれた
と思ったら
また
腕をホジホジ
グリグリ
心臓までの点滴の架け橋
何がイヤって
入れるときの違和感
さらに
不自由なのは
シャワー
しかたないわな
強力な抗がん剤には
必須の処置
でもイヤなんです
けど、数週間のガマン
ガマンしたります
自分のためですからね
がんばろー
結局
一時退院は中止することとしました
家族に発症した夏風邪
↑コロナじゃなくて一安心
だけどかなりしつこくしんどそう
その家族の夏風邪もあるし
そんななか感染者を隔離しながらの
僕のお世話は
妻の負担がデカすぎる
かえって妻が心配
というのと
もし僕が何かに感染すると
CAR-Tのスケジュールが危ない
てなこと、もろもろ
僕のIgGも現在微増中
増悪する前に
DCEP 3コースで叩いておく
そんなわけでして
すべてを勘案して
3コース前の一時退院は
中止
となりました
残念
家族の回復を祈りつつ
さーて、がんばろー
前の病院では当時CAR-Tをやってなかった
現在はどうか知らない
もしそのままやってなかったとして
前の病院にそのまま通ってたとしたら
今頃は死んでたかもしれない、いや死んでた
CAR-T療法ありきの
つなぎとしてのDCEP療法だったから
CAR-T療法をやらない病院では
DCEPの発想もなかったかもね
つまり
新薬療法の効かない自分は
使えるクスリがなくで
5月か6月には死んでたってことだ
骨がバキバキになって骨痛と骨折痛に苦しみながら
今生きているのは
奇跡ということか
背骨はボロボロだけど
なんとか生きている
病院を変わって良かったなと思う
そして
CAR-Tへの道が開けている
これでうまくいって
ガンが収束すれば
骨代謝が正常にもどり
骨が硬くなれば
また釣りも行ける
家族でキャンプをしたい
その奇跡を信じて
一歩を重ねて道をつくる
ところで
一連の治療費
請求書が怖いんだけど
本当に負担は少なくて済むのだろうか
こんなことも心配するのが庶民
一時退院の急遽中止で予定が狂い
着替えの下着が無くなって
でも歩行制限で洗濯ができない
で
看護師さんが
コンビニ行きましょう!
と
車椅子に乗っけてもらって
押してもらって
院内コンビニへ
無事パンツを1着
それからペットボトルの水を数本
を入手
こうして
無事に
シャワーに入ることができた
そういや
昨日は昨日で
病棟内の自販機に行けないから
ということで
別の看護師さんが
飲み物を買ってきてくれた
みんな優しい
看護師さん
感謝しなければならない
ちなみに
夕方妻により
着替えがたくさん到着予定