ステージⅢから、涙を拭いて、踏ん張って ☆by 多発性骨髄腫患者エンつり(エンジニア+釣り師)

ステージⅢから、涙を拭いて、踏ん張って ☆by 多発性骨髄腫患者エンつり(エンジニア+釣り師)

多発性骨髄腫になりました。
残された命、楽しくやろう。
窓際だけど負けない!
再々発したけど負けない。


サッカー好き⚽️
釣り好き
お絵かき好き
料理好き
DIY好き

多発性骨髄腫は5年生存率50パーセントと言われています。

自分は、2022年8月末をもって発症後丸5年を迎えます。
さて、無事にサバイブできるでしょうか?

丸4年経過目前の2021年夏、二度目の脊椎骨折にみまわれました。
依頼、後遺症の痛みに悩まされています。

それでも生きて、釣りや庭キャンプを楽しんでいます。

息子は今年大学生になりました。
発病当初は中学2年生で、大学生になるまでは死ねない、と考えておりました。
今度は、仕事に就くまでは死なない。
あと4年、なんとか生き続けたいものです。

生きていても辛く苦しいことばかりですが、妻子に食わせるために、そして釣り🎣など趣味を楽しむためだけになんとか生きて、働いているようなものです。
釣りや庭キャンプをしているときだけ、生きがいを感じています。

ケモは残すところ


24時間を下回った


大量の水が通過し


おかげで


ひっきりなしの

オシッコで


夜は寝られず



万一のために


尿もれパッドを装着


オシッコ前には


マスクを着けて


手を触れる場所は

全部消毒


下手をすると

漏らしてしまう


だから

手っ取り早く

あらかじめ計画した

最短の動線で


同室の患者さんと

被らないように


さてと


いまから

ちょい寝ができれば、と

入院者のクセに昨晩はゼロ睡眠


まあ、すごい夜だった


1時間ごとにトイレ(オシッコ)


眠るスキ無し

シスプラチンを押し流すための

生理食塩水が多いため



おかげで朝はぐったり


気がつけば朝食

なんだけど、実は

明るくなってから1時間ほど寝れた

トロッと


最低の体調で始まったものの


食事は朝昼共に食べれて

元気回復しつつ



お昼に便秘やや解消した


今夜もオシッコで眠れんのかな?

いやですね、そんな夜


連続ケモは48時間越えての53時間


半分は越えた

あと43時間の辛抱


DCEP療法、ケモ耐久レース

眠れない


ステロイドによる

副作用の睡眠障害


あるいは

多量の点滴により

尿が絶えず出てくる


シスプラチンを押し出すための

追い水


膀胱が絶えず満水で

漏れそうで気に

余計に寝れない


ここで役に立つ

1. 2コースのときの

尿もれパッドのあまり分


こりゃ真剣に

尿カテーテル入れなきゃならんか


しんどいな

頻回のトイレで

背骨が疲れ気味


ガン闘病の

辛い1ページ


尿カテ入れるの痛いけど

除去したあと

こうした副作用が辛い

膀胱へのダメージだね

我慢の効かない膀胱


腕のピックも痛いしな


あと2.5日もあるのね


このまま朝まで起きてよか

CAR-Tのためのブリッジング


DCEP 3コース


開始後24時間を通過


2日目に入りました


今のところ

副作用はしゃっくり


そして

便秘の予感


そして

副作用かどうかはわからないけど

ケモ直前からの腰痛

(たぶん副作用ではない)


てなところで

体はいい感じです


このままいけば

最高だなぁ

ホントにしんどいです


DCEP療法


これまでやってきた



カイプロリス、ベルケイド、レブラミド、ポマリスト、ダラキューロ、ニンラーロ、、といった新薬治療ではなくて



いわゆる、ザ・抗がん剤

すごい副作用を覚悟しなくてはいけない



でも



そのおかげで生きている


とにかく

明日に向かって



希望の光を求めて

3コース目


CAR-Tへの架け橋


泣けてくるよ

この病気になってから


般若心経を写経したり

読経したり

を始めてました


しかし残念ながら

しばらくご無沙汰しておりました


発病が7年前で

確かその1、2年あとに般若心経に興味をもちました


部分寛解となってから

仕事や、釣りやでなにかと忙しくなり

般若心経はご無沙汰となりました



ニワカ

ですね😅



ここにきて


春先の骨髄腫の増悪以来

心が不安定になりがちでした😑


将来への恐怖


骨折による激痛


さらにはケモによる副作用


と心身ともに最悪となりました



特に宗教に興味をもつでもなく

仏教に傾倒してるわけでもありません


しかしながら


般若心経を唱えると

なんとなく心が落ち着くのです


ひさしぶりに般若心経を覚え直しました


はじめの頃はお経の意味も勉強しましたが

今はもう忘れてしまいました


でも、唱えるとおちつくのです


大部屋ですから

声に出さずに

モゴモゴと


不思議なものです


仏教のなかで一番大事な真理が書かれたお経らしいです


モゴモゴと


心を落ち着けて


ケモに挑みます


退院のつもりだったから

一度抜いてたんですよね

ピック


やっとカサブタとれた


と思ったら


また

腕をホジホジ

グリグリ


心臓までの点滴の架け橋


何がイヤって


入れるときの違和感



さらに


不自由なのは

シャワー


しかたないわな


強力な抗がん剤には

必須の処置


でもイヤなんです


けど、数週間のガマン


ガマンしたります


自分のためですからね


がんばろー

結局


一時退院は中止することとしました


家族に発症した夏風邪

↑コロナじゃなくて一安心

だけどかなりしつこくしんどそう


その家族の夏風邪もあるし


そんななか感染者を隔離しながらの

僕のお世話は

妻の負担がデカすぎる

かえって妻が心配


というのと

もし僕が何かに感染すると

CAR-Tのスケジュールが危ない


てなこと、もろもろ


僕のIgGも現在微増中


増悪する前に

DCEP 3コースで叩いておく


そんなわけでして


すべてを勘案して


3コース前の一時退院は

中止


となりました


残念


家族の回復を祈りつつ


さーて、がんばろー

前の病院では当時CAR-Tをやってなかった

現在はどうか知らない


もしそのままやってなかったとして

前の病院にそのまま通ってたとしたら


今頃は死んでたかもしれない、いや死んでた


CAR-T療法ありきの

つなぎとしてのDCEP療法だったから


CAR-T療法をやらない病院では

DCEPの発想もなかったかもね


つまり


新薬療法の効かない自分は

使えるクスリがなくで

5月か6月には死んでたってことだ

骨がバキバキになって骨痛と骨折痛に苦しみながら


今生きているのは

奇跡ということか


背骨はボロボロだけど

なんとか生きている


病院を変わって良かったなと思う


そして

CAR-Tへの道が開けている


これでうまくいって

ガンが収束すれば

骨代謝が正常にもどり

骨が硬くなれば


また釣りも行ける


家族でキャンプをしたい


その奇跡を信じて

一歩を重ねて道をつくる


ところで

一連の治療費

請求書が怖いんだけど


本当に負担は少なくて済むのだろうか


こんなことも心配するのが庶民


一時退院の急遽中止で予定が狂い


着替えの下着が無くなって


でも歩行制限で洗濯ができない



看護師さんが

コンビニ行きましょう!


車椅子に乗っけてもらって

押してもらって


院内コンビニへ


無事パンツを1着

それからペットボトルの水を数本

を入手



こうして

無事に

シャワーに入ることができた



そういや

昨日は昨日で

病棟内の自販機に行けないから

ということで

別の看護師さんが

飲み物を買ってきてくれた



みんな優しい

看護師さん


感謝しなければならない



ちなみに

夕方妻により

着替えがたくさん到着予定