リスペクト(尊重)

尊重が無ければ、倫理もない。

尊重とは、倫理的行動をすることだ。特に審判に対し敬意を払うことは必至である。例えば、主審に抗議をする。選手は「時間を出来るだけ稼ぐためだ。」と言うだろう。しかし、この選手は抗議して時間を費やしている瞬間、自分自身の集中力、チームも集中力、自分自身の競争心、チームの競争心も同時に失っていることに気が付いていないのだ。それは試合、相手、そして自チームに対するリスペクトが欠けた行為だし、そして自分自身へのリスペクトが欠けている。

当然相手にも敬意を払うべきであることは言うまでも無い。相手がいるからこそ競争が出来るのだ。相手がいなければ、試合も出来ない。

勇気、勇敢さ

常に立ち向かう気持ち。恐ろしい攻撃をしてくるメディアのプレッシャーに耐える強さが必要となる。最近のメディアはテロリストより周到な攻撃をしてくるからね。

その影響はすでに家庭にも反映されている。監督が家に帰った時、妻は必ず「今日の試合勝ったの?」と聞き、「今日は良いプレーが出来た?」とは聞かない 失笑

それに、ラジオはもっとすごい。夜中の3時に監督の自宅に電話し、「なぜあの選手を使ったのか?」「なぜこういうシステムで戦ったのか?」など夜通し聞くのだ。信じられるか?夜中の3時にだぞ!!

僕も実際に夜中に選手や監督がラジオでインタビューを受けているのを聞いたことがあります。一体彼らはそれでどうやって休めるというのでしょうか?びっくりしました。その為に稼いでいると言われるかもしれませんが、サッカー選手は夜中に寝る間を削ってラジオのインタビューに答えなければいけないという決まりは無いんです。

監督としての勇気として、自分自身周囲のプレッシャーに打ち勝つということと、選手へのプレッシャーを軽減、もしくは引き受けることが求められる。

ある監督はアウェーで戦う時に選手よりも先にグランドに出る人がいる。そうすると当然スタンドから一斉にブーイングを受けるわけだが、すると選手達が入場した時にはスタンドには投げつけるものはもう残っていないことになるからだ。嘘のようだが、本当の話なんだ。

そういえば、モウリーニョがバルサ戦やっていたような・・・

自由

開放感。特に選手達に対してロボットのように何かを強いるのではなく、彼らがプレーする時に自由な表現、開放感を与えられるようにする。自分の自由ではなく、他への自由を考慮したい。試合に負けたからといって死ぬわけではないのだ。人生を失うわけではないのだ(一部失う可能性はあるが・・・)。そして、指導者自身内部、外部からのプレッシャーに縛られない開放感を得られるようにならないといけない。

1時間という短い(?)講習会でしたが、非常に面白い話を聞くことが出来ました。またまた彼のファンになってしまいました!!しかし、今回の講習会で話した内容はほんのさわり部分。もっと詳しく知るために頑張って彼の本を読んで理解しなければ!!と強く思いました。

彼が言っていることは「逆説」というかサッカー界に対する皮肉というか。こうしないといけないという背景にはそうではない現実があるわけです。

だから、そういうことを批判し、良いものにしていこうとしているわけです。よって、その基盤となる僕達指導者に働きかけているわけです。

倫理的な指導者、人間的に優れた指導者になってくださいと(頑張りましょうね!皆さん!)

ちなみに、講習会終了後、ちゃっかり持参していたサインペンとサンティアゴ・コカ氏が書いた本を持って、彼に近づきました。

そして、たぶんこの言葉久々に使ったなぁ・・・「サインください」とお願いしてしまいました(照)すると丁寧に「あなたの指導者としての成功を心から願っています コカより と書いてくれました。

ありがとうございます。

人間的にも、サッカーを指導する立場としても、どちらも未熟な僕ですが、日々向上していけるよう頑張りたいと思います。


誓約だ 笑