偏差値教育とはうまく付き合わないといけないと思う。

所詮相対的な数字だし、日本かつ受験でしか通用しない数字だし。

(もちろん偏差値も有用な面はあることは認める)

 

教育で問題だな、と思うのは、運動は子どもが嫌だ、向いてないとなれば意外と本人も親もすんなり撤退する。

しやすい、が正しいか。

 

しかし、殊勉強に関しては、本人が嫌だ、苦手だとなってもそこから更に勉強させる環境(塾など)に入れる流れになる。

これ、子供によっては地獄への入り口になりえる。

 

塾はそりゃ来たら一生懸命成績上げるべく子供のために尽くします。

良い塾に当たればよい先生もいて、しっかりその子の個性を見極め、距離を詰め、信頼を築き、やる気にさせる流れに持っていけることが多い。

もちろん塾によってはひどい塾もあるけど。。。

 

ただやはり長年子供たちを見てきて思うのは、どんなにやっても勉強が苦手な子供はいて、成績が上がらないケースはある。

でも塾としては、「次こそは」という思いでその子供を個別に見たり、補習したりしながら可能性を探る。

塾もお預かりする以上本気だから。

 

だけどなかなか勉強は撤退戦ができない。

周りの目もあるし、受験という共通の戦いがあるだけに、勉強する環境から抜け出すことはどうしても難しい。

 

でもね、「別に勉強が嫌い」「どうしても嫌だ」となるなら逃げるのもありだと思うのですよ。

別に中学や高校なんて最終学歴にはならないし、仮に大学がFランだとしても、生き方は多様にあるし。

 

「学歴など所詮RPGでいうどういう武器を手に入れるかに過ぎない」、と誰かが言っていたけどホントそうだと思う。

最強の武器があればラスボスも戦いやすいけど、別に最強の武器がなくても、多少武器が弱くても工夫をすればラスボスは倒せる。

 

Fラン大学に行っても、社会で活躍する人はたくさんいるし、ヘタに一流大学出ていても社会で活躍できない人はたくさんいるし。

大事なのは、その子が夢中になれるものがあるのか、自分のコミュニティがあるのか、コミュニケーションスキルがあるのかなど、形や数字に表れない部分。

 

故に、偏差値が低い=勉強できない=自分はダメという式は成り立たない。

でも周りの大人がこの式が成り立つようにしていないかな、とふと思う。

 

勉強自体は一生しないといけないもの。

はっきり言って学生時代にしてきた勉強より、社会に出てからする勉強のほうがはるかに難しい。

だって誰かが「これ勉強しろ」と言ってくれないし、正解が必ずあるものでもないし。

「会社は学校じゃねー」と聞いたことがあるけど、まさにそう。

 

だけどずっと正解ありき、「これをやれ」とレールを敷かれてきた人がいきなり社会に出るとその真逆になるから恐ろしい。

 

もう少し前の段階で正解のない、自分で考える勉強ができればいいな、と思う。

それを用意できる大人になりたいな、と思う。

親や周りの大人が「撤退戦もありだぜ」という姿勢を持つだけで、救われる子供も少なからずいると思う。

 

今は通信制で自由に学べる学校も多いし、AIの登場で今後の受験システムはどうなるか分からなくなってきている。

それだけに大学や勉強の価値観も今後大きく変わってくるだけに、周りの大人が勉強というものの感性を磨かないといけないな、と思う。