春の訪れを告げる花 | ねこのつぶやき

春の訪れを告げる花

春の訪れを告げるといっても、アメリカでと言うより、きっとヨーロッパそれも特にイギリスで、なのかもしれませんが、家の庭にもあるので・・・

それは、これです(さっき撮ったばかりの写真です)・・
$ねこのつぶやき-daffodil_5-08-2011
英語では『daffodil』・・・
日本ではなんて呼んでいるのかと思ったら・・・

『水仙』でした^^;

あたりまえですね・・・

タンポポなどは、これよりも少し先に咲き始める事も多いのですが、ヤッパリまだ木々の緑すら少ない時期にこの鮮やかな黄色は目立ちます。

ちなみに、3週間ほど前(4月19日)には・・・
$ねこのつぶやき-daffodil_4-19-2011
こんなでした・・・


なんで、特にイギリスではそうなのかなって、行ったことも無いのに思ったのは、イギリスの有名なロマン派詩人のワーズワースの詩に、Daffodilsと言うのがあったはずだと思ったからです。

で、ちょっと探してみたら・・・
ヤッパリありました。
載せておきますので、よかったら読んでみてください。

その前に、一つだけ頭に入れておいた方が、この詩を感じやすいのではないかと言う事を・・・・・
イギリスって、かな~~り北にあるため、海流の影響で緯度の割には寒くは無いものの、その冬は夜がなが~~くて暗い感じだそうです。そして、この詩は特に100年以上も前に読まれたものなので、今よりももっと春の訪れに対する喜びも大きかったのではないかと・・・

では・・

『The Daffodils』

I wander'd lonely as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,
Beside the lake, beneath the trees
Flutttering and dancing in the breeze.

Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They strech'd in never-ending line
Along the margin of a bay :
Ten tousand saw I at a glance
Tossing their heads in sprightly dance.

The waves beside them danced, but they
Out-did the sparkling waves in glee : ―
A Poet could not but be gay
In such a jocund campany !
I gazed ― and gazed ― but little thought
What wealth the show to me had brought.

For oft, when on my couch I lie
In vacant or in pensive wood,
They flash upon that imward eye
Which is the bliss of solitude;
And then my heart with pleasure fills
And dances with the daffodils.


一応、訳も見つけましたので(岩波文庫からのものだそうです)・・
ただ、詩はそのリズムも大事なので、訳はあくまで参考にして、出切るだけ言語で声に出してみた方が雰囲気が伝わってくるかもしれません・・・

谷を超え山を越えて空高く流れてゆく
白い一片の雲のように、私は独り悄然(しょうぜん)としてさまよっていた。
すると、全く突如として、目の前に花の群れが、
黄金色に輝く夥(おびただ)しい水仙の花の群れが、現れた。
湖の岸辺に沿い、樹々の緑に映え、そよ風に
吹かれながら、ゆらゆらと揺れ動き、踊っていたのだ。

夜空にかかる天の川に浮かぶ
燦(きら)めく星の群れのように、水仙の花はきれめなく、
入江を縁どるかのように、はてしもなく、
蜿蜒(えんえん)と一本の線となって続いていた。
一目見ただけで、ゆうに一万本はあったと思う、
それが皆顔をあげ、嬉々として踊っていたのだ。

入江の小波(さざなみ)もそれに応じて踊っていたが、さすがの
燦めく小波でも、陽気さにかけては水仙には及ばなかった。
かくも歓喜に溢れた友だちに迎えられては、苟(いやしく)も
詩人たる者、陽気にならざるをえなかったのだ!
私は見た、眸(ひとみ)をこらして見た、だがこの情景がどれほど豊かな
恩恵を自分にもたらしたかは、その時には気づかなかった。

というのは、その後、空しい思い、寂しい思いに
襲われて、私が長椅子に愁然として身を横たえているとき、
孤独の祝福であるわが内なる眼に、しばしば、
突然この時の情景が鮮やかに蘇るからだ。
そして、私の心はただひたすら歓喜にうち慄(ふる)え、
水仙の花の群れと一緒になって踊りだすからだ。