上の記事で私の本質を知ったとき

 

存在が存在のままで満足し完結しているのなら幻想とはいえこの世界を創造することは

 

なかったのではないか?そんな疑問が湧いてきた。

 

非二元を語る人たちから「人生に意味も目的もない」と何度か聞いたことがあるが

 

はたして本当だろうか?

 

例えばスポーツで金メダルを取るとか発明とかしてノーベル賞をもらうとか

 

そういうこの世的な成功や名誉のようなことに

 

意味や価値があるとかは私は思わないけれど

 

分離しているかのようなこの世界が創造されたのには理由があるはずだ。

 

あれ以来そんな疑問がずっと引っかかっていたがその答えが明らかになってきた。

 

存在が自身の存在に気づいたとき

 

「この存在であるところの私とは何か?」という問いを発したのだと思う。

 

絶対が絶対のままでは「知ること(認識)」は起こらない。

 

相対の中でこそ初めて「知る」ということが可能になる。

 

存在が意図したのかどうかは今の私にはわからないが

 

「私とは何か?」という問いを発した瞬間、存在が自身を「知る」ために

 

分離分解が起こり相対世界が誕生したのだ。

 

宇宙、世界が起きた意味、目的は明らかにある。

 

それは「私を知る」ことだ。