ロバート・キヨサキさん(翻訳:白根美保子さん)によって書かれた”金持ち父さん貧乏父さん”についての感想を述べます。

 

人生哲学を考えるのがすごく好きなのですが、それだけではうまくいかないと書かれてました。

お金の哲学も必要だそうです。

 

「学校教育をしっかり受けて、努力して真面目に勉強すれば将来安定した職に就くことができる。全てが上手くいく。」

これを信じていました。

だから、中学も高校も必死に与えられた問題をマニュアル通りに解き、解説書の答えが絶対だと思ってやってきました。

でも最近気づいてしまったのです。

今までの学校教育は意味があったのか。

無いは言い過ぎかもしれないが、人に合わせる訓練をしていたんだろうなと。

この本にはこう書いてありました。

 

学校教育は、将来お金のために働く人材を育成する。

 

本当にそうです。

専門知識を持つエリートがいるおかげで、技術の進歩があるように便利な世の中になったことは間違いないです。

でも、私たちは失敗を学んでこなかった。

数学をやるにも物理をやるにも、決められた解法があってそれに沿って解くだけ。

学校では、ミスをした時の対処やお金の回り方は学べないです。

 

”勉強”とは、自分で考えることなのか。

今になって振り返ると、記述問題も模範解答があり、相手の答えや求めているものに合わせるようなものだったはず。

こんなに頑張ってきたけれど、結局受験レベルの学力でしかなく、要望に合わせた答えを導き出せる者だけが上がれるシステムだったんだとようやくわかって、もっと早く気づけばよかったと悔やんでいます。( ノД`)

だから、勉強ができる、頭がいいということが素晴らしいわけではないと気持ちが変化してきました。

 

私は、高校が進学校だったこともあったので大学進学が当たり前という環境でした。

とある先生が、

「君たちの時代は、いい大学に入ったとしてもいい会社に入れるかわからないから可哀想だ」

と言っていたことがあります。

当時はへぇ~と流していましたが、今本当にわかりました!!!!!

 

そこで、この本にもあるように

 

お金を自分のために働かせる

 

ことがどれだけ大切なのかがわかりました。

 

投資。

 

これは、確かにリスクがあることですがリターンもありますし、毎日目の前の生活に追われ一生懸命働いても政府に税金をむしり取られ、残ったお金で支払いをし、それでも残ったお金を貯金や娯楽に回しながら一生を終えるのと比較したら、前者のほうが魅力的だなと思うわけです。

 (あぁこういう人がどんどんお金持ちになっていくんだな~)

 

自分自身も稼げる能力を持つべきだと、今日図書館で本を探してたら副業関係のものが既に借りられてて、こういう時代が来ていると気づいている人が結構いるんだなと思いました。

 

前半でも述べましたが、やはり学校において”勉強ができる子”というのは、この歪んだ社会の中で生きていく分には優秀かもしれません。

でも私はそれに魅力を感じないです。

自分の力で考えて、上の立場の人でも言いたいことは主張して、大多数によって決められた正解が正しいとは限らないことを知っている人に魅力を感じます。

自分で生きているなって感じ。

こういうものがないと、どんどん悪い方へ流されていく気がして怖いですね。

 

ネットでも調べて様々な方のブログを拝見させて頂きましたが、世の中がおかしいことに気づいてる方はいらっしゃいました。

何でも反論せずに、「そうですね、私が悪いです」って飲み込むことが”大人の対応”という風潮が嫌です。

すごく嫌いです。

どうしてそうなっちゃったんだろう、、

とにかく社会人になりたくない…