先ほど、久しぶりに憤りを感じました。
それは、家の近くの交差点でした。
信号が赤になり、信号を待っていた歩行者たち(私も含む)は歩き出しました。
と、そのとき大きなサイレンが近づいてきました。
救急車でした。
案の定多くの人達は立ち止まり、その救急車を先に行かせようとしました。
しかし、しかし、一人の自転車に乗った男性は止まらず、堂々とそのまま通過。
慌てて停車する救急車。
その救急車の前を堂々と通り過ぎる自転車の男。
コンタクトをつけていなかったので、その男がどういう男だったかは黄昏時という状況もあって目視することはできませんでしたが、僕にはその男をひどく軽蔑のまなざしで見るしかできませんでした。
そして、そいつがいつか救急車に乗って、一刻の生死を争う状況で交差点に差し掛かった時に、このような男がまた出現し、そのことが原因で死ね、と心の中で思いました。
確かに、その救急車に乗っていた人はそのような緊迫した状況ではなかったかもしれません。
たかが、何秒かの時間です。
しかし、救急車が来たら、道を譲るのは当たり前でしょう。
こういう輩の、こういうなんでもない行動の積み重ねが、少しずつ国家の水準を低下させていくような気がしてならない。
逆に言うと、救急車が来たら道を譲る、親切にしてもらったらありがとうと言う、そんな小さなことの積み重ねが、日本という国家を世界に誇ることのできる唯一無二の国にたらしめているということだと思います。
昨今、フランス、アメリカでは日本をcoolといい、なかなかのジャパンブームだとも言われています。
しかし、実際に日本に来た外国人はけっこうがっかりして日本を後にするという話も聞きます。
世界が見た日本のイメージは非常に崇高で、我々が思っているよりもはるかにレベルが高い。
私は自分が生まれたこの日本を、そんな目で見てくれる世界の人に実際に見せても恥ずかしくない立派な国に、自分がこの国の人間であることを誇りに思える日本にしたいと節に願っています。
そう、安倍さんの言葉を借りれば、「美しい国日本」となることを。
話は戻るけれども、救急車に立ち止まらなかった自転車の男は、特に何も考えていなかったのかもしれない。
いや、逆に相当傲慢な人間だったのかもしれない。
それは分らない。
けれども、明日、彼が事故にあって救急車に乗ったとき、同じような奴が出てきて彼は死ぬかもしれない。
それは、さすがに言い過ぎかもしれない。
しかし、世の中そんなものでしょう。
日ごろの行いが、結局は自分の元に戻ってくる。
「情けは人のためならず」じゃないですけど、
極端な話、日本のみんながみんな、この男じゃないですけど、水準の低い行動を起こし始めたら、日本という我々が住んでいるこの国の生活水準は地に落ち、治安は最低、世界からも尊敬のまなざしではみられなくなったとき、困るのは我々自身なのです。
ps、
以前、JRの切符売り場で多くの人が並んでいる中で、突如順番を無視して切符を買った中国人女性二人組み(観光旅行者 と思われる)を見たとき、中国の文化というものを目の当たりにしたし、逆に言うと、我々日本人の文化水準を少し誇りに思いまし た。それが、文化水準が高いのか低いのかという議論は抜きにして。