想像しただけで涙が出てくるような歌詞
【1969年レコード化
その後も短編アニメーション映画化、絵本化も(Wikipedia情報)】
専門学校を卒業して
三十数年ぶりに同級生と会った
大学を出てから専門学校に来た彼は
4歳年上
あの頃彼は
年上感を出すこともなく
高校出たての僕らと親しくしてくれた
卒業して
福岡市から地元に帰ったのは知っていたけれど
ずっと連絡の取りようがなかった
ひょんなことから
連絡してみた
すぐに返信があり会うことに
三十数年ぶりとは思えないほど
会うとすぐにあの頃の感覚に
今はどうしてるか
2時間があっという間に過ぎた
(行ったお店が2時間で出なきゃいけなかった)
学生時代にいつも一緒につるんでいた
仲間たちに何とか連絡をとって
(今現在はその誰とも連絡がつかない)
次はみんなで会おうと
約束をして別れた
すっかり
20歳の頃に戻った
とても楽しい2時間だった
人口透析に通う日は
朝6時には家を出る
冬場の早朝の澄んだ
キリッとした冷たい空気を吸うのが好きだ
そしてこの時期になると
決まって思い出す
1985年の冬
クラスメイトと3人で暮らしていた
(今で言うところのルームシェア)
夜 近所のコンビニエンスストアに買い物に行ったり
夜の散歩に出た時に
必ずといっても良いくらい買っていた
『 GEORGIAのMILK TEA 』
自動販売機のHOTでしか見なかったけど
好きだったなぁ
『 KIRINのJIVE(粗挽きネルドリップ方式)』
を飲むようになったのは
そのあと
『 KIRINのJIVE 』の登場は
僕にとっての〝缶コーヒー史上最高の衝撃〟だった
小・中学生の頃は
体も小さく
食も細かった僕にとって
給食は苦痛の時間だった
牛乳ビン一本(200ml)飲むと もうお腹いっぱい
って具合だったから
そのほかにコッペパンやおかずって
もう 無理無理
好き嫌いじゃなく
お腹に入らないから食が進まない
『完食こそ正義』みたいな時代だったから
時間内に食べきれないと
昼休みでみんな運動場に遊びに出て行くのに
【食べ終わるまで】教室に残されて
それでも食べきれないと
掃除の時間が始まっても
廊下に正座させられて
帰ってから吐いたことも
こんな風だったから
給食に対して
良い(楽しい)思い出はない
米飯給食が試験的に年に2、3回行われていた頃のお話
バレーボールを観ると思い出すのは
小学生の頃のこと
小学5年生の時
市内の小学校(小、中学校だったかも)の先生たちのバレーボール大会があった
同級生で友人だった馬場君と当時の担任の先生の応援に行った
広いグラウンドにコートを作ってあって
何試合もやっていた
応援している場所から反対側に担任の先生たちのチーム
手前側に相手チーム
(当時は9人制だったと思う)
相手チームのサーブ
そのサーブが
なんとセッターの女性の先生の後頭部に…
アマチュアだからそれほどのスピードはなかったけれど
セッターの方は相手チーム側に向かって立っていたからね
いきなり後頭部にボールがぶつかってくるとは思ってもいなかっただろう
突然の出来事に
馬場君と二人で笑ってしまった(11才だから事の重大さなど気づくはずもなく)
そのあとのことは全く記憶にない
大ごとにならずにそのまま試合が続いたから
セッターの方もケガはなかったのだろうけど
かまえてないのにいきなり後頭部にサーブのボールが当たったんだから
相当痛かったに違いない
大人になってから思い出すと怖さが先に出てきてしまう
児童も先生たちもまだ心にゆとりがあった頃のお話
馬場君どうしてるかなぁ…