誰でも知っていると思いますが人と言う文字は、右と左とで支えあっています。

文字通り、人間は、心を寄せ合って生きていく。いや、支え合っていくものです。その心を寄せ合う最高の手段はと言うと私は、その国の持つ最も美しい言葉を使い、自然に交わすことで補完しあっていると考えるのです。

もう、お分かりでしょうが我国の言葉の中で最も美しい言葉。

はい。それは「ありがとう」と「はい」の言葉が一番美しいと思うのです。

職場でも家庭でもこの言葉が頻繁に交わされていれば、その集団の人間関係は円滑であるはずです。

ところが今の日本人は、この「ありがとう」と「はい」を言うのが大変下手になっているし、また、その言葉の大切さに気がつかないのです。

私達は、この言葉を言うべきタイミングにしっかりと「ありがとう」と素直に発しているかどうか。毎日の生活の中で一度、振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。

例えば、あなたが会社で部下にちょっとした用事を頼む。

「あの資料を持ってきてくれないか?」

「コピーを頼まれてくれないか?」

部下は、指示の通りに動いてくれる。そんな時
あなたは何と言うだろうか。

「うん。どうも。」

「どうも。そこに置いておいてくれっ。」

と、これで終わりにしていないであろうか。

この「どうも」ぐらい不思議な日本語はありません。最近は何でも「どうも、どうも」である。朝会えば「おはよう」の代わりに「どうも」夕方、帰宅するときも「さようなら」の代わりに「どうも」お礼を言うときも「先日はどうも…」スピーチを頼まれても「どうも、初めまして…」

どこへ行っても誰に逢っても「どうも、どうも」なのです。

この「どうも」は、その語源すらハッキリしていない。「どうにもこうにも…」と言う説や民族学の柳田国男先生の説では「とにもかくにも…」

今度、じっくりと調べてみようか…。

いずれにしても人間関係とは心と心をつなぎあわせることであります。

企業内の初任者研修では、日頃の業務の進め方の中で私が最も重要視していることの一つに「基本的な人間関係そのものを如何に潤滑にするかだよ」と伝えています。

精神面で「やる気」「根性」等の勉強も時には必要であろうがそれは、もっともっと後の段階で良いのです。その前に日常の些細な礼儀作法をしっかりと実行できる集団が目的のある集団の第一歩であると信じているのです。

教える側の上司側も教わるであろう部下側も共に育っていくことを強く望んでいるものです。

人を教えることは学ぶことでありこれこそが【教育=共育】であるのです。

どんなことでも人に何かをして貰った時に「ありがとう」と言う言葉がすぐに出てくる会社や組織は例え、ピンチになっても早々にへこたれないものです。

何故ならば、上司と部下とが人間的に信頼しあい心の絆で結ばれているからです。

人間関係は、一朝一夕に出来上がるものではありません。ましてや、知識として教え込めるほど簡単なものではないのです。