近頃思うことに人間が持って生まれた才能などと言うのは結局、大した事はないのであって当人の終始変わらない努力と勉強(探求心)が最後に物を言うのである。


と、言う事に気のつく頃には人生における勝敗がほぼ決まりかけた時である。



他人のやる事を眺めて、『あれぐらいなことはいつでも自分にやれる自信がある』と冷ややかに思っているうちに実践・行動によって真に学ぶ事を望み自己の仕事を例え少しづつでも確実に積み重ねていく相手から、いつのまにか遠く引き離されてしまうものである。



若い時分には自己の能力や才能に無限の可能性があるような錯覚に陥り易いものだが私達の能力には
一定の限度があり、しかも、それらは人によって大した差異が無いことは勿論のこと、その能力や才能も実際に試してみないことには、果たして、どの程度のモノであるかも全く判りはしない。



青春時代に自己の力量を出し切らなかった想い出ほど後味の悪いモノはないのであって、その悔根は一生、私達を苦しめるのである。それに比べれば若気の過ちの想い出のほうが遥かに楽しいと言わなければならない。



『青年の老い易いと言うこと』従って感覚も鋭敏で肉体的にも丈夫な今、やらねばならないこの瞬間(今)に自己の精神の糧となり自己の力量の養いになるものを出来るだけ豊富に且つ、バランス良く取り入れると言うことは青春時代の最も大切な心掛けであると信じている。




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