小さい頃
『神童』と騒がれたが
成人したら
逆に落伍者になった。

言うのは良く聞く話だが
特に
5月5日の
子供の日の特番などで
小さい子供たちの神童ぶりがTVで取り上げられている。
周囲の大人は
やんややんやで拍手喝采している姿を見ていると
人間は
普通の人間に囲まれて
普通に育てられ
普通が一番良く
自然に日常生活が送れ
当たり前のことが当たり前の如くできる。
こんな当たり前のことが
できることの方がよっぽど幸せなのだと感じる。

ある建設会社の人事部長が
こんな話しをしてくれた…。

技術系の大学を卒業して入社してきて
設計技術のみならず管理能力も抜群の優秀社員を
結婚を機に抜擢をし
ある工事現場の所長にしたそうです。
毎朝
誰よりも早く現場に出勤する彼は
作業服に着替え
安全靴を履き
いつものスタイルで
事務所の周りを箒で掃いていたところ
3~4歳位のお子さんの手を引いた
若い母親が通りかかりに
『〇〇ちゃん。ちょんと勉強しないとあのおじさんみたいになるのよ』
と言われ
思わず箒を持つ手が止まってしまった…。

この世の中に存在するものは
それが存在する限りにおいて全てが『価値』があることだと
認められないバカ親が多くなってきているのです。
私は
その価値ありの価値を日々発見することが
人間の思慮分別であり
また
それが知恵だと言うことになるのです。

海の魚は
陸地の森林によって育てられるし
蛙にも蛍にも
生きるものとしての
価値があり
生命があり
希望があるのです。
これらを比較して
どちらが価値があるのかを競うものでもなく
比べるべくもなく生きるもの全てに価値があるのです。
つまり
大切なことはそれらを受け止める心の在り方であり
何が正しいか
何が良いのか
何が美しいのかと言う『真・善・美』を素直に感じる心は
視力の差ではなく心(知恵)の差なのです。