日本銀行のHPを見た。

総裁不在の問題がなければ

一生、

HPを開くことなどなかったのかもしれない。


日本銀行HPより抜粋


日本銀行はわが国唯一の中央銀行です。

日本銀行は、日本銀行法によりそのあり方が定められている認可法人であり、

政府機関や株式会社ではありません。


日本銀行の目的は、

日本銀行法では、日本銀行の目的を、

「我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、

通貨及び金融の調節を行うこと」

および

「銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、

もって信用秩序の維持に資すること」と規定しています。


また、

日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、

「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を掲げています。


日本銀行HPより抜粋


と、

言うことです。

その中央銀行の総裁が決まらないと言うことが

どれほど、

前代未聞なのかと言うことは、

博識者にお任せすることとして、

縁しは、

今、ここにわが師がいたら

何と、

仰っているかを考えてみた。


『批判』と言う言葉を辞書で引いたことがあるでしょうか。


広辞苑によると

『批判』とは、

①批評し判定すること。

②人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価する。

しかし、

否定的内容のものをいう場合が多い。

哲学では、特に認識能力の吟味を意味することがある。


大切なことは、

物事や人の行動・意見などの欠点を指摘し、

そのことが正しいかどうか。

論理的・科学的に評価判定することである。


しかし、

今の与野党の話を聞く限り

正しい批判を繰り広げているように感じ得ないのは

縁しだけではないはずである。


『批判』とは、

単なる悪口や中傷などではない。

あくまでも

切磋琢磨の友情を基本として、

必ず、

代案を持って行うものであると

わが師なら

言ってることだろう。


また、

『批判』の手順についても師は苦言を呈するだろう。


正しい『批判』の手順は、


①目的を決定する。


②方針を決定する。


③長所及び短所を発見する。


④互いに検討してみる。


⑤改善・意見を具申、助言をする。


⑥自らの考えを行動を反省する。

と、

言うことである。


他人を『批判』することは簡単である。

人を『批判』するときは、

自分はいつも傍観者である。

お手並み拝見とばかり、

自らは具体的には少しも動かないし、

自らの手は汚さず、何もしない場合が多い。

要するに、

自分のことは棚に上げて、

結果を見て、あそこが悪い。ここが悪い。

と、

能書きを垂れているだけである。

本当に大切なこととは何か。

今、

この瞬間を

この国のために

自らが具体的にどの様に動くかである。

それが、

政治家の役割である。

それができない政治家や無責任な傍観者たちに

大切なわが国を預けるわけにはいかない。