
「頭だけで学ぶのではない。体で覚える。しかし、ことばではなかなか教えてもらえない。名人の師匠はその道の奥義をきわめているけれども、はじめからそれを教えるようでは奥義はすぐ崩れてしまう。」
「秘術は秘す。いくら愛弟子にでもかくそうとする。弟子の方では教えてもらうことはあきらめて、なんとか師匠のもてるものを盗みとろうと考える。ここが昔の教育のねらいである。学ぼうとしているものに、惜気なく教えるのが決して賢明でないことを知っていたのである。」
「師匠の教えようとしないものを奪いとろうと心掛けた門人は、いつのまにか、自分で新しい知識、情報を習得する力をもつようになっている。」
自分の師匠も全く教えない先生です。しかし、レベルが高くて、広い知識と鋭い洞察力を持っていて、とても尊敬できますが、なぜかあまり教えてくれません。結局、研究の内容はほとんど自分で調べて、自分のやり方で試行錯誤をしながら進めました。
ただし、日常の交流の中で、師匠の考え方、成果に対する評価の仕方、思考のパタンなどを見て、自分のレベルも知らないうちに高まっていくのです。何年も経って気づいたら、自分は実は、「形のない」教育を受けていました。例えば、このレベルの内容なら、世界では通用する、あるいは、通用しない、を判断できるようになりました。論文の主張を明確でかつシンプルに書けるのも身についたものの一つです。
しかし残念ながら、最近の若い学生は、「教えてくれないと、動かない」人が多いみたいので、卒業できなかった学生の続出もこのわけですね。
ところで、D論は120ページを超えました。まだページ数が増加中です。残りの三分の一がもっとも書きにくい部分ですが。