先週の金曜日(2008年12月26日)に、僕のノートPCが「亡くなりました」。もう少し正確に言うと、ノートPCのハードディスク(HDD)が壊れたのです。このノートPCは僕が2005年の1月に買ったDellのInspironで、4年間ずっと一緒に頑張ってきた仲間です。HDDに入っていた記憶がすべて消えたら、僕の人生の記憶の中の一部も同時に失ったのです。バックアップを頻繁にとっているものはほとんど仕事の内容です。主に研究資料や自分が書いた研究論文や作製した図表です。D論が全く影響されていないのは幸いなことです。しかし、ノートPCに入っていた写真、音楽、自分が書いた手紙、友人からもらった手紙、集めた文章などのバックアップはとっていないので、すべて「天国」に行きました。
神様の戯れかもしれませんが、実は、三日前の火曜日に、有楽町のBiccameraで640GBの外付けハードディスクを買いました。そろそろ卒業するから、研究室のPCに入っているデータをコピーしようと思って買ったのだから、まさか自分の持っているノートPCをすぐにバックアップしないといけないは全く思っていませんでした。
僕は冷静です。ノートPCの死には何か意味があるような気がします。ハードウェアが壊れたら、ハードウェアに刻まれるソフトウェアが瞬時に消えることは、覚悟の上のことです。人間の死も同じです。「永遠」を求めてはいけないことは最初からわかっています。しかし、考えてみれば、もし火曜日にノートPCのフルバックアップを外付けハードディスクでとっていたら、金曜日にノートPCが死んでも、僕は多分神様の「偉大さ」に感服し、神様の護りに感謝するだけで済んだのでしょう。しかし、神様は別の結末を用意してくれました。外付けハードディスクが三日もノートPCのすぐそばに置いていたのに、結局ノートPCを救うことができなかったのことです。この遺憾の気持ちを感じさせてくれたと思います。人生の記憶をもっと大事にしなくては、のことかもしれません。
神様の戯れかもしれませんが、実は、三日前の火曜日に、有楽町のBiccameraで640GBの外付けハードディスクを買いました。そろそろ卒業するから、研究室のPCに入っているデータをコピーしようと思って買ったのだから、まさか自分の持っているノートPCをすぐにバックアップしないといけないは全く思っていませんでした。
僕は冷静です。ノートPCの死には何か意味があるような気がします。ハードウェアが壊れたら、ハードウェアに刻まれるソフトウェアが瞬時に消えることは、覚悟の上のことです。人間の死も同じです。「永遠」を求めてはいけないことは最初からわかっています。しかし、考えてみれば、もし火曜日にノートPCのフルバックアップを外付けハードディスクでとっていたら、金曜日にノートPCが死んでも、僕は多分神様の「偉大さ」に感服し、神様の護りに感謝するだけで済んだのでしょう。しかし、神様は別の結末を用意してくれました。外付けハードディスクが三日もノートPCのすぐそばに置いていたのに、結局ノートPCを救うことができなかったのことです。この遺憾の気持ちを感じさせてくれたと思います。人生の記憶をもっと大事にしなくては、のことかもしれません。