個人がテロ行為と同じ自爆・放火をしよう、などという事を考える、妄想してしまう社会と言うものに少なくとも日本はなってしまっている、という事の様です。

そうして、一人で死ぬのはいやだから、多くの人を道連れにしよう、として車を借りて人ごみに突入した人もいましたっけ。

結局は同じことをやっているのですね。

自分の人生に絶望して、その怒りを、悲しみを何の罪もない、関係のない第三者にぶつける、と。


本当に卑劣であります。

しかしながら、そのような方を誕生させてしまう社会というものにも疑問が残ります。

そうは言いながら、それではどのような社会がこのようなテロ行為を発生させない社会になれるのか、良く分かりません。


個人の自由に対する規制が強い社会であれば、テロ行為は相当に防げるとは思いますが、しかしながら、だれもその様な規制を受けたいとは思わないでしょう。

それとも中国でやっている様に「個人に対する成績表をつけるシステム」を入れますか?

そうして、あまり成績が良くない方に対しては規制を強くする、と。


ある方が京アニに対して脅迫めいたメールを送った。

その方が車でガソリンを入れる為に、ではなく、携行缶でガソリンを買った。

そうして、京アニに向かった。

監視していたセンターは京アニに対して警報を出した。

同時に、警察にたいして身柄の確保と状況の確認を指示した。


さて、現状の技術レベルからすれば、そのように個人を特定しつつ、その行動をトレースする事は不可能な事ではありません。

問題は社会が、一般の人々がそのような事を、そのようなセンターの設置を認めるかどうか、ということになります。


より厳しい方式ではGPS端末の常時携帯の義務付け。

あるいはマイクロチップの埋め込み、というのも可能な手段になります。


問題がある個人を特定の施設に隔離して世話をする、という方法は万能ではないでしょう。

なにより社会復帰を難しくしてしまいます。

そうであれば、社会で通常の生活を送りながら、一定の制約を受ける、と言う方法も積極的に考える必要がある時代になった様に思われます。

PS
無くなってしまったものがあまりにも大きすぎて、放火犯に対する感情は「なんてことをしてくれたんだ」という想いしかない。

悪いが実行犯の生死にもあまり興味はない。

税金を使って治療して、そうして裁判にかけて、さてそのあとどうするつもりなのか。

まあそんな事はどうでもいいと思ってしまう。


どうやら世界がどのようになっても、こういう想定外の事をしでかす人間は存在するのだと思う。

そうなるとやはり「大事なものは一人一人が注意して管理していくしかない」そう思ってしまう。


それにしてもなぜあの日に限ってセキュリティシステムが切られていたのか?

来客対応の為、ということではあったが、どうしても悔やまれてしまう。

そうして、セキュリティーが切られている事など知るはずのない実行犯があのタイミングで京アニに来る、というのは、これはもうなんという悲しいめぐりあわせであるのか。

まあそんな事を考えている今日この頃であります。

PS
・焼損免れたサーバーから原画データ回収に成功 京アニ

とりあえず「よっしゃー!!」。

PS
青葉容疑者、京アニに小説応募か 「同姓同名の人物を確認」と京アニ側<--リンク

『応募の内容については明らかにしないとしているが、桶田弁護士は「京アニがこれまで制作した作品との間に同一または類似な点はないと確信している」としている。』

こういう「秘密主義」はだめですね。

問題がないならば堂々と公開して、関心のある全ての方に見てもらうべきであります。


PS
京アニ放火受け対策“身近な凶器”ガソリン GS側「法律で決めて」

『・・・一方、消防庁はさらなる規制には慎重な立場だ。
担当者は「賛否どちらの意見も届いている。
まずは要請を徹底し、その上でどうすれば良いかを見極めたい」としている。』

消防庁さんはまるで「他人事の様」でありますなあ。
あれだけの事件があっても消防は法律・条令化をためらう、というのが腑に落ちない所です。

PS
・青葉容疑者「京アニ大賞」に応募 小説、選ばれればアニメ化<--リンク

さかうらみ、ですか。

こんなことがリスクになるなんて、想定外の事であります。

・アニメはひとを救わない

そうして、こういう意見も出てきます。