いざ着校!! 防衛大へ | ひろすけのMacなブログ

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宿屋さんの手配で午前8時20分にタクシーで息子は防衛大へ。

 


同宿だった大津の子と3人で行きました。

 

タクシーは学生最優先で親は乗れないんですよね。

 

せっかく小原台まで来たので、私たち夫婦も校門まで行ってみようということになりました。

 

そして、バスで馬堀中学まで行き、学生に遠慮して、なんとバスも使わずに徒歩であの坂を登って防大へ。

途中、坂を登って行く防大行きバスを見ると、「むっちゃ空いてるやん!!」と思わず叫んでしまいました。

あー、こんなことならバス使えば良かった。2、3台見送りましたよ。

 

登り坂を歩いて、9時に校門前に到着したのですが、留学生を連れてか外事ナンバーの車両が入ってきたり、タクシーや自家用車もチラホラ停まっていました。

でも、ピークはもう過ぎたようで、地本の引率で来ている人たちなどはすでに7時台に受付をすませているようでした。

雨が止んでて良かった。

 

校門で記念撮影する人も。この頃はおだやかな様子でした。

ただ、校内からは応援団の鳴り物?声援が聞こえてきてました。

 

帰りの新幹線ではさっそく息子から小隊の番号がLINEで以下のように送られてきました。

 

サクラ サクラ サクラ

○○○小隊

 

ちょいちょいちょい、玉砕するつもりかい !!

 

ちなみに、「サクラ サクラ サクラ」の電文の意味は以下の通り。

 

●『水戸歩兵第二聯隊史』(水戸歩兵第二聯隊史刊行会・編、昭和63年11月30日発行)に、第14師団通信隊の無線分隊長として、司令部においてペリリュー島・アンガウル島との無線連絡にあたっておられた、伊藤敬人氏の「『サクラ・サクラ』を受電して」という文章が載っています。

 氏はその中で、次のように書いておられます。

 

  「十一月二十四日十六時ペリリュー無線は、生文で最後の連絡を送ってきた。

 

 サクラサクラサクラ ワガシユウダンノケントウヲイノル ワレクノゴチヨウ ワレクノゴチヨウ

 サクラサクラサクラ ワガシユウダンノケントウヲイノル ワレクノゴチヨウ ワレクノゴチヨウ ・・・─・─

 

(注)クノゴチヨウは久野伍長(水戸市出身)の意。・・・─・─は通信終了の符号。

 

 その日のパラオの空は珍しく空電一つなく、受信機には電波の流れる「サーッ」という音だけだった。すべてが終わった。私たち七名の通信兵は、ただ抱き合って泣くのみであった。」(同書、475頁)

 

帰りの新幹線で富士山を見ながら、父は「きちんと生還してこい‼︎」と思ったのでした。

 

 

帰宅したら、息子の食卓の席に身代わりのこれが置かれていました。

 

 

まったく....................、