ボクの恩師である村田國人先生が亡くなられました。


村田國人先生が亡くなられたことが【村田流整体術】から公式発表されたことでボクを心配される方もおられますので今回だけ書かせていただきます。


恩師である村田國人先生との出会いは2006年の全国講習会。最悪な第一印象からまさか15年のお付き合いになるとは夢にも思わず。




2020年の新型コロナウィルスと経営不振以外で一回だけ広島へ伺えなかった以外は毎年、初期の頃は2回、村田均整へお邪魔しました。




恩師だけはボクに「絶対治療家になれるから」と言ってくださいました。


そのお陰で現在、そして未来があります。


ボクが患者さんの対応でしくじった際(しかも先輩先生からの紹介)も一緒になって謝ってくださいました。


以来ボクは恩師を親父さんと呼び「親のような親しさ」と「敬意の念」を持って言葉を交わすようになりました。


親父さんのやり方へ全面的に変えたのはこのちょっと前。


それまでは均整というものに悩んで悩んで。


やっと吹っ切れるまでに出会ってから数年かかりました。


吹っ切れるまで気がつくまで親父さんは声をかけてくださいました。


毎朝毎朝こんな早い時間に電話⁉️とかほぼ毎日電話がある😨なんてことにウンザリしたことも数年前からありました。


ですが電話に出れなかったらかけ直すし、電話がなければこちらからかける。


かけなおしてこないんだったらそれまで(の縁)と言われて背筋が伸びたことも😅


15年前は雲上人のように畏敬の念で接していた方が本当に親のような接し方になりました。


全国講習会も村田均整でもそうですが常について回り、質問するでなくただただ恩師の話を伺っていた。


…ウンザリされなくてよかった。


2021年の5月に電話をいただいたのが最後。


長電話の親父さんには珍しく短い電話。


「尾崎となぁ、話したいけど、楽しい話がないんよ」


最後の言葉になりました。


気がつくとしばらく電話がないので「もしかして嫌われたかなぁ」と思い、それでも気になって電話しても出られず。


日を開けて電話しても出ていただけず、ハガキを出しました。


ハガキがかえって来ないということは受け取っていただけたのだろう。


時間が経てば許していただけてまた電話があるのでは?


そう考えていたら今回の訃報。





受けたショックから出たのはしっかりしなければ親父さんはその方が悲しまれるという思い。


親父さんほど患者さんを大事にし患者さんが喜ばれることをなされてきた方もおられません。


親父さんを思えば悲しんで何もしないでことの方が浮かばれず、供養と思うならばしっかりしてキチンとやるしかありません。


正直に書くと実の親よりも長く生きられるのではないかと頭のどこかで思っていたため親父さんがこんなに早く亡くなられるのは想定外でした。


親父さんの施術方法も、考え方も、困った時に聞けなくなることも、声も、姿も、何もかもが無くなってしまった。


もう広島へ行くこともないし、親父さんの誕生日にプレゼントを贈ったり父の日だからと電話したりお歳暮を贈ったり…全部が無くなってしまった。



自転車で買い物した帰りだったのですけど泣きました。帰ってからも泣きました。




人間が死ぬのは世間から忘れられた時と聞きます。


ボクが生きてることで村田國人先生を思い出してくださる方が一人でいらっしゃれば幸いです。


恩師の後を継ぐというのであれば何がなんでも生き残ること。


ボクが死ぬまえにいっぱい話ができるように話のタネをいっぱい用意しておかなくちゃ。


もうこれまでお許しいただいた村田國人先生がおられませんので【おざき均整】が公式に村田國人先生の名前を出すことはありません。


これからも前を向いて生きてくと決めた【おざき均整】へお問い合わせお待ちしております😊


※敬称が恩師だったり親父さんだったりでまちまちになり読みにくくなっておりますがご容赦くださいますようお願いします。