”ミュージックホールの小林幸子”ミスタンゲット



第一次世界大戦が終わったとき、気がついてみるとヌードガールがミュージックホールの主人公となっていた。

フランスのエンターテイメントが体験した新しい事態。

それでも、1920年代を通じて、肉体的魅力だけのヌードガールが、磨かれた芸をもつ大スターたちを完璧に食ってしまった、というわけではなかった。

最後の大スターも、狂乱の20年代に登場。



モーリス・シルヴァリエと、「十年間のロマンス」を契りあったスター、ミスタンゲットと、黒い雌豹ジョセフィン・ベーカー。



頭には高さ5メートルに達する羽根飾り、体には12メートルもの裾を引きずる衣装をつけ、その素晴らしい脚線美で客を悩殺したミスタンゲット は、いわばミュージックホールの「小林幸子」


Blue Rose Diary-ミスタンゲット

彼女の選ぶコスチュームは、つねに観客の度肝を抜いた。

パリジェンヌのセックスアピールは、長くてしなやかな脚にある、と定説をつくりだした本人は、このミスタンゲットであった。


また、日本の宝塚歌劇やSKDにまで影響を与えたレヴューの基本形を決定したのも、ミスタンゲットだった。



Blue Rose Diary-ミスタンゲット

お尻に羽根飾りをつけ、頭に大きな冠をいただき、ぴっちりしたボディースーツの下から長い脚が伸びる。。。。

このイメージは、まさしくミスタンゲットが開拓したものである。


ついでにいえば、きらめくカクテル光線を用いて舞台上の舞姫に幻想的な色彩と動きを与える演出を発案したロイ・フラーを加えて、ミュージックホールのレヴューは、1910年代のパリで完成を迎えた。




1897年にシュトラスブール大通りのナイトクラブ「エルドラド」からデビュー。

しかし、デビューしても10年間鳴かず飛ばず、おまけにひどい男に子供まで産まされる運命。



ミスタンゲットが真に花開いたのは、10年後にムーラン・ルージュに移籍して、新しいダンスを踊りだしてからである。

頭に羽根飾りをつけ、ワイルドに踊るこのダンスは、手のこんだコスチュームを含めて、いわゆる「アパッチダンス」の先駆であった。

彼女のエキゾチックな顔と感性によく調和した演出であった。

ミスタンゲットの定番スタイルが確立したのである。




Blue Rose Diary-ミスタンゲット


ミスタンゲットをスターの座につかせたのは、もちろん、その大仰なコスチュームや、コミカルな性格だけではない。

郡を抜いて美しい脚の魅力も、大きな要素であった。

噂によれば彼女は両脚に高額の保険をかけていたという。

その脚はまた運動能力にもすぐれ、15ポンドにもなる重い被りものを着け、長い長い裾を引きながら、舞台の急な階段を降りてゆけるだけの力があった。




Blue Rose Diary-ミスタンゲット

かつてミスタンゲットは自著のなかで、ミュージックホールとはなにか、と問われたときの答えを記したことがある。

彼女によれば、ミュージックホールとは「ファンタジーの世界」にほかならないのだという。

そこは徹底して夢の世界であり、現実とはなんの関係もないほうがよい。



彼女もまた、ミュージックホールの舞台で夢の世界のビューティフルガールに変身した。

あの巨大な被りものや、どこまでも長い裾を引いたコスチュームは、夢の証でなければならなかったに違いない。

ちなみに、ミスタンゲットの舞台は、当時パリで研鑽を積んだ白井鐵造を通じて日本に輸入され、宝塚歌劇のレヴューに大きな影響を与えることになった。





Blue Rose Diary-ミスタンゲット