アコーディオン奏者、ジョ・プリヴァについての覚書。

先日書いたイヴェット・オルネに続いて二人目かな。

 

《ジョ・プリヴァ選集》 “10 de ses meilleures - Jo Privat"

 

1919年、パリの下町情緒あふれるメニルモンタンで生まれました。
7歳の時、叔母に買ってもらった小さなダイアトニック式アコーディオンが、最初の出会いでした。

初めて舞台を踏んでからは。

『ブラッスリー・ユニバーサル[Brasserie Universelle]』、『タベルヌ・リロワーズ[Taverne Lilloise]』、『マリウス[Marius]』といったバルや飲み屋で演奏していきます。

最終的に、かつての女郎街だったラップ通りにある『バラジョー[Balajo]』に落ち着き、以後常連となります。
そのおかげで、この『バラジョー』はパリのアコーディオンの殿堂として歴史に名を刻むことになります。

 

 

彼はここで、ジャンゴ・ラインハルト[Django Reinhardt]やディディエ・ルーサンといったジプシー・ジャズのギタリストと出会い、ジャズのエッセンスも貪欲に取り組んでいきます。

プリヴァの音楽的特徴は、ミュゼットとジプシー文化から生まれた音楽を作曲したことにあり、おそよ500曲ほど作曲しています。
彼は中央・南ヨーロッパのコードと同じくらい、アメリカの響きにも魅了されました。
彼はその3つの要素を絶妙に融合し、ギュスス・ヴィズール[Gus Viseur]らとともにジャジーなサウンドのリズムを結びつけた最初のアコーディオニストの一人なのです。

 

1985年、プリヴァは芸術文化勲章(Chevalier des Arts et Lettre)を受け、そのセレモニーもやはり、50年もの間ミュゼットの聖域として人々に親しまれているバラジョーで催されました。

 

1996年4月3日、癌のために亡くなり12日に火葬されペール・ラシェーズ墓地へ埋葬されました。
簿名碑には「ここに煮ても焼いも食えない(がんこな)奴dur a cuireが 眠る」と刻まれています。

因みに彼の息子プリヴァ・ジュニアも現在アコーディオニストとして活躍しているようですね。