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空を見上げて

毎日の暮らしの中で、心に残った風景や言葉を綴ります。

私は3歳からピアノを習い始めたそうです。

はっきり言って覚えてない

テレビで見た歌や、レコードで聞いた歌を見事に歌っている姿を見た母は、ピアノを習わせたいと思っていたところ、幼稚園で放課後にレッスンしているのを見た私が、やりたい!と言ったそうです。

そこから音楽人生が始まりました。

いろいろは省きますが、
割りと出来が良かったようで、
母も一生懸命サポートしてくれたお陰もありますが、めきめきと上達したようです。

今、自分が子供達に教えていて、
私ってよく頑張ってた・・・って思います。

私が一年生の頃に弾いていた曲が5年生になってもなかなか出来ない子もいる・・・

だから、母も先生も一生懸命になってくれてたんだと思うけど、だんだん純粋に楽しいだけでは出来なくなってきました。

最悪だったのは5・6年の頃。
泣きながら練習したり、
母にすごく怒られたり、

その怒られる内容は、
私の演奏が乱暴で雑だということ。
当時は字も汚くて、漢字の練習したページを全部消して書き直しとか、かなり激しく頻繁に怒られてました。

説教が始まると、2・3時間はずーーーーっと責められっぱなし、いかにダメ人間かをコンコンと植え付けられ、私は泣きっぱなし。疲労困憊、当然母のことは大嫌いになりました。

心配性も重なって、今となっては、よく健全に育ったなという感じ。
うつ病になったり、精神が崩壊してもおかしくないような環境でした。

きっとピアノがあったからなんとかなってたんだと思います。

どうやって吐き出したらいいか分からない感情をピアノにぶつけてたから、激しい曲を好んで弾いていたし、暗くて闇のある感じの曲がしっくりきてました。

そして、最近、
父親にたいしても怒りの感情があったことに気がつきました。

とにかく両親に対して怒りを抱いていた。

父は昔のタイプの人間だから、
女は家にいて欲しい。
そして、自分の言うとおりにして欲しい。

食事なんて最悪。
母がちょっとでも工夫していつもと違う料理をしたら、
「この魚は塩焼きにするべき」とか、
見た目が悪いと手をつけなかったり、好き嫌いが激しい。

そのくせ、私にはなんでも食べろと口まで運んできて、無理矢理食べさせる。

目の前で嫌な雰囲気の会話のやり取りが続いて、そんな二人を間に入って、おどけて見せたり、雰囲気を変えようと頑張ってたり、食事が険悪なムードになると本当に最悪だからピリピリしてた。

父の束縛で母は窮屈な思いをしていたけれど、それに反発することも出来ないのに、私には愚痴をずっと言っていて、結局なにも変えようとしない。

学歴にコンプレックスがあるのも田舎に育ったせい。

自由に生活できないのも父のせい。

そんな二人に怒りの感情を抱いていたのは無理もない。

だから無意識のうちにピアノに八つ当たりしていた状態なんだと知った。

でも、母が父にたいして抱く感情は、
おばあちゃんがおじいちゃんにたいして抱く感情と似ているんじゃないかって気がついた。

やっぱり島の生活は苦しかったみたいだし、戦争で大変だったというのもあるし、いろいろ信じられないような赤裸々な話を聞かされた。

子供にそんな話を聞かせて、私はどう返事したらいいか困るような事も聞かされた。

子供にはなんでも話すって良いことのように聞こえるけど、果たしてそうなのか?

私がそういう環境で育ってきたから、
あまりにものんきにしている私の息子が小学生の時に、お母さんが子供の頃は大変だったって話をしたら
「だからなんなの?そんなの聞いたって俺は違うんだから」
と言われ、

それもそうだびっくり

私だって母の苦労話聞かされて迷惑だったじゃんキョロキョロ

親だからって、子供に全部話す必要も無いって思い直した。

息子は私の師匠だ!


それで、おばあちゃんや母がずっと抱いていた怒りの感情が私の無意識に植え付けられていて、私はそれをなんとかしようとしていたんだと思った。
こういうのがカルマなのかなって。

父は父で、子供の時に終戦を迎えて、その後事故でお父さんが無くなり、、、、と苦労が半端無いわけ。

そんな二人が出会う訳なんだけど、
これまたいろいろあって、
私の立場も複雑になっている。

実父の存在を聞かされたのが結婚後だったり、私が子供の頃は不自由な生活ではなかったけれど、精神的に不安定というか、無意識下で二人が抱えていた危うさみたいなものをおそらく敏感に感じ取っていたんだろうなと思った。

私もぐれずによく育ったもんだ。
よく頑張ったよーー。
謎に厳しい二人に育てられ、まともに生きてられるのは凄い。

母の回りを見回すと、
兄弟も5人いるけど、なかなかクセが強いというか、私から見ると、ちょっと不思議な夫婦もいるし、やっぱり生活が苦しくて苦労していた。兄弟で助け合っているようで、本音で語り合えず、お金にルーズだったりする。それぞれに抱えている闇みたいなものを共有できずにいるようだ。

父の方も、お金にルーズな兄弟が多く、いつも父がサポートしているように見えた。

お互いに心から信頼し合っているという感じには見えなかった。

そして、なにか問題が起きても、うまく解決に導く話し合いができていないのがよくわかった。

そんな大人の問題を私が解決する必要も無いけれど、子供って、そういう大人を見ていると辛くなるよね。
そして、代々受け継がれてきた根底に流れている思想というか、なにかそういうものがあるような気がして、私も無意識に受け継いでいたのかもしれない。

表現のテーマが怒りだから、丁寧にできるはずもなく、乱暴だし、雑にもなる。

丁寧に、きれいに、なんて心から安心できる環境でないと、そんな余裕はでないんだろう。

それが客観的にわかったのは大きかった。
そして、去年ある人との出会いによって、純粋で誠実な人との信頼関係みたいなのを経験して、私が表現するのは怒りだったのが、愛へと変わっていったのがはっきり分かった。

その幸せな時間を音にしたいと心から思ったから。初めての感覚。

長年のクセで、手だけがさらっと鍵盤の上を走ってしまうこともあるけど、だいぶ演奏が変わった。

虐待が無くならないのも、もしかしたら同じような原理なのかもって思った。
虐待を受けて育った場合、心から信頼して、心からの愛を経験しない限り、本当に愛する気持ちも分からないかもしれない。
頭ではわかっていても、本当に信頼しても大丈夫な人間なのかどうかセンサーがすごい敏感なんだろうと思う。
純粋な愛を与えてくれる人がパートナーとは限らない。どこにいるかは分からないけれど、やっぱりその愛は感じることができるって分かった。

何人もの人が同じような事をしていても、愛が溢れている人はちょっとしたことが違う。
それに、心が一方通行ではその愛を感じることも出来ないって思う。
誰にとっても愛が溢れているのではなく、その人だけに感じられる愛かもしれない。

たった一人でも純粋な気持ちを向けてくれる人がいたら、その瞬間に変わることができる。

私はその人のお陰で、代々受け継がれてきた怒りの感情を昇華させてあげることができたんじゃないかと思った。