本当に音楽が必要な時は? | 空を見上げて

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毎日の暮らしの中で、心に残った風景や言葉を綴ります。

今日は、本業の音楽について

 

物心ついたときには

音楽がいつもそばにあった。

 

レコードで歌を聞いたり、お話を聞いたり、

赤い小さなグランドピアノのおもちゃでポロンポロンといろいろ弾いていた記憶もある。

 

どうやら、ピアノをならい始める前から、テレビで聞いた歌などをそのピアノで弾いていたらしい・・・

 

そんなこんなで3歳からピアノを習い始めて、40年以上。

よく続いてるよね。

 

そうはいっても、途中で挫折して辞めていた時期もあった。中2~高校2年ぐらい。細々とレッスンだけは行っていた。なんとなくやめられなかった

 

大学から再び本格的に始めて今に至るけれど、結婚・出産・育児などでまともに弾けない時期も5年ぐらいあったなー。

 

一回中学生の頃に挫折する頃は

私の演奏する音楽は

雑で、退屈で、表現力に乏しかった。

ただテクニックはあったみたいで、難しい曲をガンガン弾いてきたようだった。

 

よく、母親から

もっと丁寧に弾きなさい。

乱暴な演奏はやめなさい。

 

と、ひどく怒られながら練習していたから、

ピアノも親も大嫌いだった。

 

それでもなんとなく音楽から離れられなかったのは、私には音楽が必要だと、本能的に分かっていたんだと思った。

 

大学では

音楽療法の勉強もした。

音楽療法はいろんな人を対象にできるもので、私が一番最初に行った現場は

精神科の入院患者さんとのセッションの現場だった。

 

初めて患者さんと接することになり、

病気について勉強するわけだけど、

患者さんのこれまでの経緯などをカルテから読んでいくと、

ん?親から受けたストレスとか私と似てるぞ?

そんなの普通のことじゃなかったの?

 

と思えるような事例もあり、

患者さんとしてここにいるのと、私との違いはなんだろう?と考えたときに

 

私にはピアノがあった。

 

雑だ、乱暴だ、と言われながらも

弾くことで、私は精神のバランスをとっていたんだと分かった。

むしろ、その環境で、丁寧に、繊細に優しくなんて表現できなかったんだと分かった。

 

怒りをぶつける対象が音楽だったんだと知った。

 

 

今、子供たちにピアノを教えていて

やっぱり、表現が薄い子っている。

無表情で、話しかけても必要最低限しか話してくれない子や、練習はほとんどしてこないのに、休まずレッスンに来る子とか。

無表情で、ぶっきらぼうな感じなのに、とてもロマンチックな曲を弾きたがる子とか、

 

ピアノを弾けるようになる、という目的だけだったら、先生としてはちょっと困ってしまうような子なんだけど、

 

実は、そういう子こそ、

音楽が必要。

 

私も柔軟に、その子が無意識で感じている、

私には音楽が必要

っていうところにフォーカスしてあげないといけないなと反省。

 

さて、レッスンでは何をしたらいいだろうか?

もっと感情を表現できるようにピアノをたくさん弾いてもらいたいけれど、

練習する気力が沸いてこないのは

生きるエネルギーが足りていないのかもしれない。他に心配ごとがあったら練習どころではないよなー。

 

 

ピアノって、究極的に言うと

鍵盤を押すだけ。

 

でも、その鍵盤を押すのにエネルギーを相当使う。楽器も重たくて大きいし、楽器から受ける圧力っていうのかな、そういうのあると思う。

 

私も落ち込んでいる時は

ピアノの前に座るのも辛かったときがあった。

なにか弾きたいと思っても、

鍵盤を押す力も沸いてこなかった。

 

曲のエネルギーにも負けてしまうんだよな。

 

そんなときのレッスンはどうしたらいいだろう?