元々、武道を志したのは、

 

「強くなりたい!」

「特別な力を得たい!」

 

と、思ってのことだった。

 

 

今現在も、毎日、型を打ったり、

印を結んだりしているのは、

氣の発動を願ってのこと。

 

別の言い方をすれば、

 

「自分自」の覚醒を望んでいる。

 

 

覚醒すれば、

 

「特別な力が得られる!」

 

と、思っているから。

 

 

 

 

 

だが、、、

 

 

「特別な力を得たい」

思って行う修行は、返って

逆効果であることを悟った。

 

 

 

 

 

僕は、特別な力を得て、

より多くの人に貢献する

ヒーローストーリーに憧れがある。

 

 

幼少のころから、特別な力

特別な才能を身につけたいと思っていた。

 

だから、勉強したり習い事をして来た。

 

大人になって成功哲学マーケティングなど

ビジネス戦略を学んで来たのも、

ある意味「特別な力」を身につけるためだった。

 

 

そうやって、武術やビジネスの切り口から

「特別な力」を手に入れたいと思い

探求してきたら、、、

 

 

結局、全ては

心の問題であることに行き着いた。

 

 

 

すると、、、

 

 

 

今度は、精神世界において、

「特別な力」を手に入れたいと

欲するようになった。

 

 

 

必然といえば、必然で、

「特別な力」を願う氣持ちを

自己否定するつもりはない。

 

 

「特別な力」を手にして

人を救いたいと思う氣持ちは、

「成長」「貢献」

スピリチャルニーズの現れだから。。。

 

 

 

だが、、、

 

 

 

「特別な力を得たい!」と願う氣持ちは

”我”であり、氣をつけないと”邪魔"になる。

 

「霊能を得たい」と思うのも”我”である。

 

 

 

”我欲”からの祈りや願いは、

低い霊魂に感応しやすい。

 

 

なので、願いが叶って、

霊能力(超能力)が使えるように

なったとしても、、、

 

我を捨てない限り、

運命は最終的に行き詰まってくる。

 

厳しい言い方をすると、

 

我から発動した能力では、

真に救われる人は出てこない。

 

僕は、そう感じている。

 

 

 

 

 

では、どうしたらよいのか?

 

 

無邪氣明るく楽しく生きて、

自分の心をで満たせばいい。

 

 

見えざる力の導き信じ

楽天的に生きればいい。

 

 

邪気があったり、暗い心、

不安な念などがあると、

内に秘めた輝きは現れない。

 

 

もし、暗い心になりがちなら、

太陽を感謝の氣持ちで仰ぎ見ればいい。

 

 

太陽の光は、不思議と心を軽くし

明るくしてくれる。

 

 

そして、、、

 

 

修行が必要な人は、必然的に

人生において否応なく修行させられる。

 

すでに天命が授けられているから、

自然に導かれるので素直に従えばいい

(人によっては3次元でのビジネスが修行だったりする)

 

 

 

今までは、

 

「自分の立場を良くしたい。」

「自分の力を示したい。」

「人に感謝されたい。」

 

そんな不純な氣持ちで

 

自分だけ特別な力を得たい!

 

と、願って修行していたが、、、

 

 

 

そんな我欲から行う修行だと、

効果がなかった。

 

 

それよりは、何も考えず、

頭を空っぽにして、只々型を打ったり、

只々印を結ぶ方が効果的だと感じる。

 

 

さらには、、、

 

 

自分だけのためではなく

地球上の全ての人々

 

特別な力(神聖)

 覚醒しますように。」

 

祈りを込めて行った方がいい。

 

 

 

そしたら、、、

 

 

 

地球上の全ての人々には

自分自身も含まれるのだから、

自分の特別な能力覚醒するはず!

 

 

 

 

ロンズーx