ここに来て、老子に興味が湧いて来た。

 

自分のプロフィールに

「経済的自由人」

書いていたことがあるが、、、

 

 

老子の在り方を知ると、

自由の度合いが雲泥の差に思えた。

 

「真の自由」を得るには、やはり

老子の説く生き方を学ぶ必要があると感じた。

 

 

そこで、、、

 

 

老子をじっくりと

読み解いて行こうと思う。

 

 

頭でっかちで、

いちいち論理的に考えないと行動できない

「優等生」にとって最も必要なのは、

老師のような生き方を取り入れることだと言える。

(僕は「優等生」を育成する日本の教育の呪縛にどっぷりハマっていた)

 

 

 

世の中に出回る成功方法幸せになる方法

安易に取り入れてしまうと枝葉のことばかり拘り

本質が抜けているように思える。

 

 

 

今という時代の変化の中で、

より自由を得るために、

とても参考になる最高の哲学書と言える。

 

 

 

 

道の道とすべきは、常の道に非ず。

名の名とすべきは、常の名に非ず。

 

 

 

これは無礙自在(むげじざい)の生き方

単的に現している。

 

 

 

命ある”生きもの”は、本来

自由に生きることができる。

 

 

 

だが、ひとつの道を設定すると、

それ以外の道を行くことができず

 

何か名前をつければ、

その名前に縛られる。

 

 

 

例えば、、、

 

 

「経済的自由人」

自分に名前をつければ、

自由なようで、その名称に縛られる。

 

 

 

「◯◯会社の◯◯役の◯◯」

 

と言えば、その名の範囲に縛られる。

 

 

 

 

先日、「布巾(ふきん)」

「雑巾」と言い間違えた。

 

 

使用する前なら、

どちらも布を糸で縫った

同じものでしかない。

 

 

 

なのに、、、

 

 

 

名前をつけたとたん

意味合いが極端に変わる。

 

「雑巾で食器を拭く」

「布巾で食器を拭く」

 

雑巾で食器を拭くなんて

ありえないと感じるはず。

 

全く同じものであっても。。。

 

 

だから、、、

 

 

自分にどんな名をつけるかで、

この先の人生に大きく影響する。

 

 

例えば、、、

 

 

同じ人間でも、

「凡人」「神の子」

呼び方を変えたら、

必然的に意識が変わる。

 

 

できるならば、

「神の子」

を、意図して使ってみるといい。

(宇宙を神が創造したのであれば、自分も神の子と言える)

 

 

 

数年前、インカンテーションで、

(アファーメーションに身体の動きを伴うもの)

 

「私は〇〇だ!」と、

繰り返し唱えたことがある。

 

その効果はたしかにあったが、、、

 

 

現在の僕には、老子が言うように、

「常の名に非ず」を試してみようと思う。

 

 

 

実は、11月1日から

SNSなどの記事も精査し、

過去の実績や役割なども

一度手放してみようと思っている。

 

 

そして、新しい名を試しに

プロフィールに書いてみた。

 

 

プロフィールを書き換えた時点で、

すでに書いた内容にとらわれる部分もあるが、

新しい自分の可能性を試してみようと思う。

 

 

ロンズーx

 

追伸:

富士からの帰り道、熱海で途中下車し

「熱海の三大別荘」と呼ばれている

「岩崎別荘」「住友別荘」「起雲閣」

の内、現存し公開している「起雲閣」に立ち寄った。

 

名だたる文豪達が、土地の”場”と

空間が生み出すエネルギーを感じて

作品を書いていたのを、建物に刻み込まれた

歴史の深さと共に感じることができた。

 

その時撮ってもらった写真から

僕自身の「龍神画家」のイメージが

連想されたので、試しに

プロフィール写真に使ってみた。