「勉強しなさい!」

「働きなさい!」

「努力しなさい!」

「頑張りなさい!」

 

って、物心が付く前から

今に至るまで、教育されて育った。

 

 

「より早く!」

「より正確に!」

「より効率的に!」

「より生産的に!」

「より長時間!」

「より真面目に!」

「より無駄がなく!」

 

って、要求されて来た。

 

 

「怠惰」であることに

罪悪感を植え付けられた。

 

 

 

「勉強しないやつはダメだ!」

「働かないやつはダメだ!」

 

って、呪縛のように洗脳された。

 

 

 

確かに、今の社会の仕組みは、

 

「働かないと生きて行けない!」

 

って、お金の力で強制して来る。

 

 

 

では、呪縛や洗脳に従って、

一生懸命に働いたら

本当に幸せになるのか?

 

 

汗水垂らして一生懸命働くこと自体を

否定するつもりはないが、、、

 

頑張りすぎて疲弊し、精神が病んで

不幸せになってしまう人も多い。

 

中には、自らの命を絶ってしまう人もいる。

 

 

 

「優等生」と呼ばれる人ほど、

周りからの期待に、自分を消してまで

答えようとしてしまう。

 

 

時には、目的が機能しなくなった

社会システムの歯車のように

知らない内になってしまう。。。

 

 

 

そして、ある日氣づく。

 

 

 

 

「本当にこのままで良いのだろうか?」

って、自分の中に満たされない違和感があることに。

 

 

 

 

 

 

最近、FIREを目指す人が増えていると聞く。

FIRE=Financially Independence, Retire Early

 

 

では、実際にFIREを実現してみたら、

幸せになれるのだろうか?

 

 

答えは「NO」

答えた方が良さそうだ!

 

 

 

 

働かなくても生活できる状態になっても、

「優等生」になるように教育された

呪縛や洗脳は簡単には外れない。

 

 

遊んでいることに罪悪感を感じるし、

人から求められる仕事がないことに

虚無感まで感じるようになる。

 

 

 

実際にFIREを実現したことがないと

理解できないかもしれないが、、、

 

 

自由であることに恐怖感を感じる。

自由であることに罪悪感さえ感じる。

 

 

 

 

「本当にやりたい事は何か?」

 

全くの白紙の状態から描こうとすると、

不思議と手が止まる。

 

 

出て来る考えの多くは、

他人やメディアから刷り込まれた

呪縛や洗脳だったりする。

 

 

 

 

外的要素で貼り付けられた、作為的

「価値観」「常識」

剥がして行くと、、、

 

 

奥の方から

本当に魂が求めるものが何か

見つけ出すことができる。

 

 

 

 

僕は、

 

「魂が真に求めるものが何か?」

 

実際に、FIREを実現した後にも、

見つけ出そうと試みて来たが、

思ったより簡単ではなかった。

 

 

経済的自由を手にすることの

素晴らしさを語って来たけれど、、、

 

正直なところ、経済的自由だけでは、

幸せな人生は実現できない。

 

 

 

「そんな分けないだろう!」

 

って思うかもしれないが、、、

 

 

実際に、やりたいことを

”本当”にやるのは難しい。

(他人から強制されてやらされる生き方の方が楽かもしれない)

 

 

 

 

 

試しに、

 

「やりたいことを何でも

 やっていいよ!」

 

って、言われたら、、、

 

あなたは何をするか

明確に即答できるだろうか?

 

 

 

もし、即答できたとして、

答えた内容を、実際にやってみたとして、

 

「その後、あなたはどうするのか?」

「次にやりたいことはなんなのか?」

 

即答できるだろうか?

 

 

数回は即答できる人はいるかもしれないが、

この質問を繰り返して行くと、行き詰まるはず。

 

 

 

そして、

 

「自分は人生で

 何を成し遂げたいのだろうか?」

 

と、言う

天命を求める心境に至る。

 

 

 

 

すると、、、

 

 

 

 

必然的にスピリチャルな探求を

魂からの衝動として始めることになる。

 

 

 

 

 

実は、ここ最近の僕は、

本当に魂が求める天命を求めて

いろいろ試している。

 

 

忙しなく活動していた時期もあるが、

今や逆で、何もしないことを試してみた。

(骨折で強制的に身体が動かせなかったのも貴重な経験になった)

 

 

ソファーでゴロゴロしたければ、

1日中好きなだけゴロゴロしていた。

 

YouTubeの動画やインスタのリールを

延々眺めて「無駄」と思えるような

時間をあえて過ごしてみた。

 

Netflixで、

アニメやドラマや映画を観たければ、

1日中観たいだけ観ていた。

 

 

以前は、長時間ドラマにハマるのは、

時間の無駄だと否定していたことを、

あえて自分に許可してやってみた。

 

 

そしたら、分ったことがある。

 

 

自分が興味を持つことが何か?

自分がハマるストーリーが何か?

 

 

自分の好きなエンディング

自分の共感できるキャラクター

自分の憧れる生き方

自分の憧れる在り方

 

 

かつての僕が「無駄」だと考えていた

フィクション(作り話)からも氣づかされた。

 

「神話」的な効果が含まれるものもあった。

 

 

 

 

自分自身の魂が震えるような

感動が何から湧き上がるのか?

 

鏡を見るようにして、

自分の内側が視えて来た。

 

 

 

それと同時に、大ヒット作品を観る事で、

世の中の多くの人々の心を揺さぶるものが何か

体感的に感じとることもできた。

 

 

 

 

やってみたい衝動はあったのに、、、

 

「怠惰」とか「無駄」だと思って否定し

今まで、やらなかったことの中で発見した!

 

 

 

思いっきり「怠惰」に、やりたい事をやってみたら、

植え付けられた偽りの「価値観」「常識」「罪悪感」の

さらには、「不安」や「恐怖感」の向こう側にある

今まで知らなかった世界も感じられた。

 

 

 

そしたら、、、

 

 

点と点に感じていた、記憶に残るシーンや

日常の何気ない出来事。

 

ふっと湧いたイメージや、アイデアや、

数々のシンクロなどが、不思議と関連し、、、

 

 

紐解いて行くと、、、

 

 

ひとつの意味を

成していることに氣づいた。

 

 

 

そして、、、

 

 

 

受け取った意味は、

どうやら導きであり、歩むべき方向性

示していたことも理解した。

 

 

まだまだ、確証できるレベルでは

ないかもしれないが、、、

 

 

頭で考えず、「無駄」と思えるような

内なる「やりたい」衝動に全て従ってみたら、

今まで感じられなかったことが

かなり明確に感じられるようになってきた。

(抽象的すぎて分からないかもしれない。。。)

 

 

内面的に感じとったことの詳細は、

デリケートな部分もあるので、

ここでは明かさないが、、、

 

 

受け取った意味に意識を向ければ、

さらに鮮明に分ってくると感じている。

 

 

かつての僕がそうだったように、

優等生の呪縛に囚われている人は、

今の僕が感じている感覚を理解することが

かなりハードルが高いかもしれないが、、、

 

 

そんな優等生な人ほど、思いっきり怠惰な時間を

あえて過ごしてみるのはオススメかもしれない。

 

 

 

心の奥にある魂の渇望が何か

感じられるかもしれない。

 

 

 

ロンズーx

 

追伸:

日常生活の中でも、ちょっとした工夫で

思いっきり「怠惰」なことを

試してみることも可能だが、、、

 

できれば、沖縄のような自然の中で、

「怠惰」で「無駄」だと思える時間を

過ごしてみると良いかもしれない。。。

(自分への思い切った許可が必要になる)

 

 

すると、、、

 

 

「怠惰」とか「無駄」とか

定義していた価値観が変わってくる。

 

以前の僕は、瞑想することさえ、

退屈で非生産的な時間と考えていたことさえある。

 

 

 

写真は亜熱帯茶屋