神武天皇のまたの名は、

神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコ)

 

「倭」とはヤマトの国を意味し、

「毘古」とは男性の尊称。

 

注目すべきは、名前の中に

「伊波」とある。

 

 

伊波は、先日紹介した

神武天皇の生まれ育った場所から

それほど遠くない場所の地名。

 

以前、インスピレーションを感じて訪れた、

伊波城がある場所。

 

 

この近くには、龍神が住める洞窟がある。

 

 

神武天皇は沖縄を出て、宮城県の日向市に行くのだが、

そこにも、龍神信仰のある洞窟がある。

 

そして、神武天皇は、東へ戦いながら向かうのだが、、、

 

大阪で敗戦となり、その原因を、

日に向かって戦いを行ったことだとし、

回り込んで日を瀬にして戦うことにし、

大阪湾から紀伊半島を南に下ることになった。

 

その途中に、日本最古の歌集である万葉集に

取り上げられた数少ない洞窟がある。

 

「三穂の石室」(みほのいわや)

地元では「久米の石室」(くめのいわや)

と呼ばれている。

 

http://www.cave-ens.com/pdf/CENS3_018.pdf

 

 

万葉集には、その岩屋に、

「久米の若子」がいらしたと

読まれているらしい。

 

 

久米と言えば、沖縄の「久米島」

 

神武天皇のゆかりの場所を辿って行くと、

沖縄の地名がたくさん残っているという。

 

 

歴史上、神武天皇が沖縄で生まれたことは

封印されていたが、、、

 

もうそろそろ、封印も解かれ

明らかになってくるのではないかと

根拠のない感覚がある。

 

 

 

 

ロンズー

 

追申:

たまたま沖縄に移住した恩納村に、

神武天皇が住んでいた場所があることから、

歴史ミステリーにハマってしまった。

 

住居跡をお参り後に描いたイメージ